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JOHNNYPARKというバンドでvo、たまにdjやります。現在は新潟在住

リスタート

ども。suugayuuuuです。

uの数は2×4ですよ。どもども。

 

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ベッドに腰かけたりしながら時間を見つけて弾いたりはしていたんだけど、ちゃんとエフェクター繋いで、立って、ガシガシ弾くのは久しぶりだった。

 

とても高ぶった…

 

私は正直練習しなくても上手に弾ける方とは違い下手くそなもので、鈍らせないように…

という気持ちも勿論あるけど、単純に楽しい…

やっぱり立って、ガシガシ弾くの楽しいな…今度スタジオ入ろ…

 

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そんでこちらも少しいじりました。

元々そこまで即興性身につけていなかったもんで、こちらはブランクあると本当に取り掛かるまで時間かかる…下準備の下準備みたいなので終わっちゃったけど、そもそもこうやって音ならせただけで最高だったな…少しずつやっていきます。

 

今日は珍しく半日使って自由にやらせてもらえたので、嬉しくて載せてみました。

 

あー楽しかった

 

痛さは強さ 後編

ども。suugayuuuuです。

uの数は2×4。

 

昨日は気持ちあっても何もできないもどかしさの中ブログ書いてたら眠くなってしまったんだけれども…

 

昨日書いてたのは

またCDの紹介でしてね

今回はCDの紹介っていうより一つのバンドについて語るみたいな内容でやっておりました。

 

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マニックストリートプリーチャーズ

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suugayuuuu memorial disk vol.3-2

Artist: Manic Street Preachers

Title: The Holy Bible

Since: 1994

 

有言不実行

「ハッピーマンデーズの何が気に入らないかっていうと、連中は老いぼれのくせにニヒリズムを撒き散らしてやがる。連中に続いたバンドも何だ? シャーラタンズじゃないか。余計ヒドい。プライマル・スクリームなんか初登場二十四位で翌週には消えてるじゃないか。つまり彼らがいかに無用の長物であるかってことを証明しているんだ。あのエレクトロだぞ?ああいうバンドはただのデブの忌々しい自惚れクソ野郎にしか過ぎない。単なるオナニー・ショーだぜ。

当時イギリスの音楽シーンを席巻していた、ストーンローゼス、ハッピーマンデーズに噛み付くマニックス

 

思い出しますよ。私もスーパーカーゆらゆら帝国を見て

「新鮮味がなくなって流行りの電子音にいくとか本当ないわ」

とか言ってました。恥ずかしい…

 

マニックスはこのインタビューの最後に

 

「アルバムは一枚、しかも世界中でナンバーワンになる二枚組一つだけってことなんだ。そうじゃなきゃ駄目なんだ。アルバム一枚、それで解散だ。うまくいかなかったらどっちにしろ、解散だ。」

 

と締めくくった。

とんでもない痛い奴らがやってきた!

 

しかし、昨日も書いた通りマニックスの1stは1位になれなかった。

うまくいかなかったらどっちにしろ、解散だ。

 

彼らは解散しませんでした。

 

リッチー・エドワーズ

1位も取れず解散もしなかったマニックスだが、翌年のアルバムでイギリスでの地位をあげていった。

そこで彼らの中でも1番ヤバいアルバムとされる問題作、「The Holy Bible」が1994年に完成する。

 

1994年っていうのはロック史でもかなり大きい1年だったりする。

カートコバーンが自殺し、BlurパークライフOasisのDefinitely Maybe、PORTISHEADのダミーも発売された年だったりする。

 

アメリカでもBeckのルーザー、ビースティーボーイズのイルコミニケーション、Nasのイルマティックとか…名盤出まくりの年だ。

 

そんな中で発売されたこのアルバムは、マニックスで一番ぶっ飛んだメンバー、4realでもお馴染みのリッチー・エドワーズの歌詞の世界観が最も活かされた内容だった。

 

つまりは尖りの極致みたいな内容で、問題作と騒がれた。カートコバーンの死んだ年に当てつけのように精神疾患などを歌ったり、かなり問題視されたりもした。

道徳的な暗ーい内容をとにかく追求。パンク色が強かった今までのサウンドから一気にポストハードコアのような重さを感じさせるアルバム。

正直この時の、叫びにも近い内容でサウンドも攻撃的で、けどどことなくなり切れていないダサさ感のあるこの作品が大好きだ。

システムオブアダウンばりの攻撃性があるが、サウンドのパワーはそこまででなかったり。そういう至らなさも含めてマニックスだなあ…

 

そう思う。

それもこれもここまでのマニックスにリッチーという痛さの象徴みたいな存在が、

私的にはとにかく愛おしいんだと思う。

 

このアルバムはこの名盤揃いの時代には1位にはならなかったけれど、マニックスの中でベストとしているファンも多くて、のちにこの当時のマニックスが映画化されたりしている。

 

その後のマニックス

このアルバムを最後に、精神を病みに病んでいたリッチーエドワーズは薬剤使用と飲酒を繰り返し壊れに壊れていく。

その後1995年、

更生施設を抜け出してから失踪してしまう。

 

(奇しくもこれで有名になったところはあるかもしれないのが悲しいが…)

 

現在は死亡とされているが、いまだに発見されていない。

 

リッチーはこのバンドの歌詞を全体的に担当していた。残されたメンバーはリッチーを失いながらも活動を続け、この後のアルバムでイギリス初登場2位、その後初登場1位を獲得する。

 

 

リッチーは1位になって辞めるチャンスも失い、自分に押しつぶされてこの世界を去った。シドヴィシャスになれなかった天才だった。

 

けどマニックスは20年後も活動を続け、ホーリーバイブルは映画化された。

痛さを通り越して、先まで続けたマニックス

 

めちゃくちゃ痛かったけど、今でも大好きです。

 

 

てなわけで

なんとなくこのバンドのことを思い出したので、今日もこの

The Holy Bibleを聴きます。

 

90年代ロックのこういうドラマチックな話とかを雑誌のバックナンバーとか古本屋で読んでワクワクしてたのを思い出す。

CDどこにも売ってなくて、HMVのネット通販初めて使ったな…とか

マニックストリートプリーチャーズって知ってる?知らないよね

とか言ってました。

1番クソ痛い自分をワクワクさせた90年代ロック。

好きな人には有名な話だし、

知らない人にはなんのごっちゃだと思うけど、話したくなったので話しました。

 

さて、私も頑張ります。

最後に一言

 

 

ちんこ

 

 

痛さは強さ 前編

ども。suugayuuuuです。

uの数は2×4。うん。

 

今年の仕事も始まって

気だるい気持ちと、日々の合間をどう縫ってやりたいことをしていくかってことを考えたりして、できることから少しずつやり始めております。とはいえとりあえず今日はがっつりそれが失敗したわけなんだけど…ブログだけでも書こうと思います。

 

今日も1枚思い出のCDを紹介したいと思うんだけど、実は今日は思い出の一作というか

「やってやるぞ!」という意気込みがあってもなかなか前に進まない状況を思ったら、あるバンドのことを思い出したので、そんな彼らのことを書きます。

 

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suugayuuuu memorial disk vol.3

Artist: Manic Street Preachers

Title: The Holy Bible

Since: 1994

 

マニック・ストリート・プリーチャーズ

(以後:マニックス)

このアルバムが発売された頃まだ私は8歳なので、もちろんこのアルバムは後追いで聴いたアルバム。このアルバムと出会うのは8年後となるわけなんだけど、90年代洋ロックを聴きまくっていた高校時代の私は、このマニックスにかなり惹き込まれていった。

 

90年代のロック史の名盤や、ブリットポップシーンを辿っていくと必ず出てくるのがNirvanaStone RosesOasisBlurPulpBeckPRIMAL SCREAMRadioheadBjork

(もちろん他にも凄いアーティストがたくさんいるけど)この辺になってくるが、

 

実はこのマニックスは、こんな群雄割拠の中で鳴り物入りでデビューしたバンドだった。

 

中二心くすぐる痛さのオンパレード

マニックスは南ウェールズという地方の出身で、炭鉱のストライキなどが起こる中大人になった。この時代のイギリスの労働階級の若者ならではの、反体制意識を強く持ったハングリーさが彼らを育て、メッセージ性の強い過激な歌詞が話題を呼び、地元の自主制作パンクレーベルからミニアルバムを出すと、すぐにデビューの日を迎えた。

 

そこで彼らはとんでもない尖ったセリフを吐く

「1stに二枚組のアルバム出して、世界1位になって解散する」

 

いやあ尖ってるね…こいつは痛い。何が痛いってこれ1stが世界1位じゃなかったらどうすんねん…ってもちろん周りもなっていきます。

 

破れかぶれでとりあえずの奇行

解散宣言が話題を呼ぶ中、マニックスはさらに狂った行動に出る。解散宣言から数ヶ月後に発売したepの歌詞で

「ジョンレノンが死んだ時はあざ笑ってやった」

と歌い、今風に言うと炎上。

 

1991年から炎上してんですよこいつら…

そしてNME(日本でいうロキノンみたいな主要音楽雑誌)の記者も彼らに対して侮辱的なことを言うようになる。

まあなんて言ったかは知らないが、おそらく

 

「ずいぶんでかいこと言ってるみたいだけど、世界1位とか無理でしょ?てか解散とかぶっちゃけしないよね?」

 

みたいな感じだと思う。

そんなことを言われたマニックスの中のギタリストにして1番トチ狂った男、リッチーは頭にきた。

かなり頭にきたリッチーは自分達が本気であることを証明するため、カミソリを取り出して自分の腕に

4REAL」(本気だぜ)

と刻んで、17針の大怪我となる。

 

どうすか…?

こいつらこじらせすぎでしょ!

腕に 本気だぜ だよ?

中二心くすぐられましたよ当時の私は…

そして92年、ついに彼らの1stアルバムがリリースされるのです!

 

ジェネレーション・テロリスト

92年ついにマニックスの1stアルバム、

「ジェネレーション・テロリスト」が発売。

 

まあこの時点で私が最初に提示したアルバムが94年発売のThe Holy Bibleなので、解散してないんですよね…

 

つまり、彼らの1stアルバムは

世界1位になれなかったんです(uk13位)

 

いやそりゃそうなんですけどね…

あれだけでかいこと言った割にはダサい感じにはなってしまいます。

 

上記で腕にカミソリを刺したリッチーという男が書く詞は、メッセージ性が強くとてもカッコいいアルバムなんですけどね…さすがに1位は厳しかったか。

 

ともあれ彼らは最悪な形でバンド活動をスタートし、続けていくことになります。

 

大丈夫かよこいつら…スタート痛すぎんだろ

と心配にすらなりますね…

 

 

そんなわけですが、急遽眠いので続きはまた明日書きます!

ごめん!おやすみ…!

 

 

つづく

 

 

プロレスとお笑いとラジオとトーキングスキルと

どもsuugayuuuuです。

uの数は2×4です。

 

東京から新潟に帰ってきて、

得も言われぬ喪失感とともに思い出したことがあった。

 

今回東京へ行ったときに会った大学時代の先輩から言われた

「『有田と週刊プロレスと シーズン3』の最終回はもう見たか?」

というセリフだった。

 有田と週刊プロレス

とはamazonビデオで配信されていた番組で、

 

くりぃむしちゅーの有田さんがその日ランダムに渡された号の週刊プロレスの見出しから、その内容と思いについて後輩芸人に語り、そこから人生の教訓をひとつ見出す

 

という内容だ。

 

私は正直会場に足しげく通ったり、空き時間に積極的にプロレスを見るほどの熱狂的なファンではないし、むしろ子供のころ放送されていたであろうプロレス放送も、両親の好みからかほとんど見た記憶が無い。

つまりプロレスラーはモノマネかバラエティー番組でしか見たことが無いまま大学生くらいまで育ったのだ。

 

そんな自分がなぜこの番組のシーズン3の最終回をもう見たか聞かれているのか?

それはもちろんシーズン3まで見てきたからだ。

 

なぜ見てきたのか?

それはこの番組がやっていること自体にかなりのsuugayuuuuホイホイな要素が詰まっているからだ。

 

まずsuugayuuuuと芸人ラジオとの出会いへとさかのぼる。

 

前にもブログに書いたことがあるが、私は小中学生時代と熱心なFMリスナーだった。夕食を終え、ひとしきり家族と団欒したのちは部屋に戻り、寝るまでの間はラジオを聴いて過ごした。

しかし音楽に詳しくなるにつれて、

「ミーハーな音楽ばかり流しやがって」

とわけのわからないことを考えたsuugayuuuu少年はラジオを離れ、夜な夜なCDばかり聞くようになった。

 

大学生になり、神奈川県へと居を移した頃

とりあえずテレビもCDコンポもある状況だったのだが、またラジオを聴いてみたくなった。なぜなら私の住んでいた家の関係か、当時はネットラジオなんてものもなかったため、AM放送が一切聞けなかったのだ。

関東ならAM放送入るだろ!

オールナイトニッポンやTBSラジオJUNKといったいわゆる「芸人さんのラジオ」を初めて聴いたのがこの時だった。

その時に出会ったのが伊集院光さんのラジオと、くりぃむしちゅーのANNだった。

 

この二つのラジオは正直自分が人前でしゃべったりするうえでの完全なお手本になっており、ルーツにほかならない。

くりぃむしちゅーのANNについてはまた改めて書きたいところなんだけど、このラジオは本当に中毒性の強いものだった。この頃にはすでに知的なコンビのイメージがついていた二人が、高校生時代の先生や同級生の話題などの身内ネタを他の人が聞いてもクセになるようなトークでまた新しい身内ネタにしていったりした。

なにより芸人の深夜ラジオといえば下ネタがつきものだが、このラジオはとりわけ30代後半の大人が、うんこちんこで盛り上がるというオールドスクールな内容で、それがとにかく今の自分の基盤になっているといっても過言ではない。

いまだにその頃に活躍したハガキ職人さんがtwitter等で二人の動向を追っていたりして、本当に3年半のバカ騒ぎにいまだに心が取り残されている人もいるんだなと。自分もまたその一人でいまだに当時の音声がYouTubeにあるのでそれを聴きなおすことも多い。

 

その内容で、二人が中学高校時代に熱狂したプロレスの話もよく出ていた。

天龍革命、飛龍革命、咬ませ犬発言、TPG事件、俺たちの時代

全部このラジオで知った。

結果プロレスのことなんて何も知らなかった自分が、

「見たことはないけれどもなんとなくプロレスを知っている人」

になっていた。ということで昭和のプロレスの動画をちょくちょく見るようになった。

 

とはいえそこまで熱狂していたわけでもないのでプロレス好きを自称するのも恥ずかしく、相変わらずなんとなく知っているくらいだったところに、タイガーマスクWなどから新日を見る機会も増え、新日本プロレスが再度ブームを作ったことによって、有田と週刊プロレスと が始まった。

 

おそらく私は、

プロレスそのものも昔よりは見る機会が増えたし好きだし面白いんだけど

きっと有田さんが何かについて語るのを聴くことがとにかく好きなんだと思う。

(くりぃむのラジオはほとんど有田さんが語って上田さんがつっこむという構図が基本だったため、有田さんが語るのが聴きたいというイメージがある。)

 

この番組を見る理由はもう一つ、この番組のスタイルだ。

 

この番組は、週刊プロレスの内容について黒板に対立構図などを書きながらひたすら説明するもので、試合の映像が差し込まれたりもいっさいしないし、字幕テロップも一切出てこない。(週刊プロレスに載ってる選手の写真と軽い注釈のみ)

本人もそこに苦言を呈することがあるが、正直そこが一番好きな理由だったりする。

演出ではなく、形態模写なども含め生の人間から昔話を聞いている心地よさがある。

いわば落語のような心地よさだ。

 

自分の好きな人が何かを熱く語るのを聴くのが好きなんだと思う。

MCバトルも、M-1も、音楽も、そのものも好きなんだけど、

当事者や見た人たちの考察とか熱い感想とかを見るのが好きなので

自分もそういうのをやりたいと思ったりする。

 

 

番組の細かい内容についてはほとんど触れていないが、

シーズン3の最終回は、シーズン1.2.3で少しずつ触れてきていまだモヤモヤしていた内容の一種の到達点的な内容だったのもあって普通に感動した。

 

見てほしい!

という意味のブログではなく、

何が言いたいかというと

 

好きな人が何かを熱く語るのを見るのが好きなんです

というのを熱く語りたかったんです。

 

またラジオやりたいな。と思える番組だった。

シーズン4も期待しています。

 

 

 

suugayuuuu、電子音と出会う

ども。suugayuuuuです。

uの数は2×4です。

 

今年始の三ヶ日を利用して東京に来ております。

嫁さんの実家にご挨拶して、その後仲のいいメンバーで新年会。翌日も懐かしの2人と喋り尽くしました。

 

愚にもつかない話の延長でいろんな話になったわけではありますが、そこでどちらの場でも音楽のルーツとか昔の自分の話をする流れになったりして思い出したことから今日は1枚紹介したいと思います

 

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suugayuuuu memorial Disks no.2

artist: Underworld

title: Hundred Days Off

since : 2002

 

当時の私は、「生音こそ最高で、電子音は別物。ロックではない」なんていうとんでもない精神を持っていて、スーパーカーゆらゆら帝国がソリッドなサウンドからだんだん遠ざかったアルバムなんか出したりしたことにとても悲観的だったりしていた。

 

「なんで貫かない!新しいものに逃げてる!」

何も知らないくせにそんなことを言っていた自分を今ではぶん殴りたいと思ってるけども…

 

そんな時に出会ったのがUnderworld

このアルバム自体は擦り切れるほど聴いた…

というわけでもないのだが、この2002年のアルバムを引っさげて来日したフジロック2003が自分にとってかなり大きな転機だったように思う。

 

これを見たすがゆう少年は、初めてエレクトロミュージックのノリ方、楽しみ方を知り、阿呆のように踊り狂い、「エレクトロミュージック最高!くっそかっこいいじゃん!」

と見事な手のひら返しをかましたのだった。

(もちろん1人で)

 

そんなことを経験した後

Chemical Brothers

電気グルーヴ

Aphex Twin

Squere Pusher

Massive Attack

Moby

みたいなロックの界隈に属する電子音をひたすらと聴きあさり

 

周囲のクラスメイトに

「俺はお前らとは違うぜ」

と斜に構える日々に磨きがかかっていくのだった…

 

痛くも今DJをしたりなんだりの自分の地盤を作ってくれたアルバムなのかもしれないと思い、このCDを今日は久しぶりに聴くことにします。

 

月並みながら今回東京で色んな話をして

かなりモチベーションも上がったし本当に感謝しております。

 

仲間に感謝!

とかブログで書くのあまりにも〇〇

だと思うけども、事実なんで仕方ない。

 

地元戻ったらまた頑張ります。

ほんとに…

ディスクで語るやつはじめました。

ども。

suugayuuuuです。uの数は2×4です。

 

昨日言った通り、とりあえずブログをコンスタントに書こうと思ってます。

それはなんとかスタートできそうです。

そんでもって何を書くかって、世の中に思うことはあってもブログでわざわざいうほどの感情もないもので、自分がこれまで聴いてきたCDの中で思い出に残ってるものを紹介しつつ、そこで1つ語れたらなんて思ってます。

 

たぶんロックが多くなると思います。

 

なぜかといえば

私は高校時代にひたすらロックを聴きあさり続け、大学の軽音部に入る際には鳴り物入りで「自分ほど聴いている人なんています?」くらいのトガった腐れ根性で入部した経歴もあり、その後は音楽ライターに憧れて痛さ100%のディスクレビューを展開していたほど。

 

正直、こんなとこでディスクレビューしたところで音楽好きな人からすれば「いやいやわざわざ紹介するようなアルバムでもねえよ…」と思われるような鉄板なCDが多いと思います。

 

なのでそのCDと、それにまつわる自分のエピソードをここで紹介していけたらななんて思います。

 

閑話休題

 

そういえば年も明けましたね

年明けと言えば聴きたいのはこのアルバム

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artist: Death Cab for Cutie

title: Transatlanticism

since: 2003/10/7

 

年明けと聞くとまずこのアルバムが頭に浮かぶ。なぜなら一曲目が「The New Year」という曲だから。

 

Death Cab for Cutie(以降 デスキャブ)はアメリカのインディロックシーンでもかなり重要だと思うし大好きなバンドで、ローファイチックなサウンドとボーカルのベンの甘い歌声の黄金比が最高…

(結婚式にも他のアルバムを飾ったり、二次会の入場曲にデスキャブの別のアルバムの曲を使ったりしているくらい好き)

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デスキャブと出会ったのは私が高校2年生の頃だった。その年はとにかく海外のロックを友人と聴き漁っていた頃で、学校が終わると1時間に一本しかない帰路の電車までの時間待ちに、新潟では当時一番の品揃えを誇った石丸電気でひたすら試聴してはたまに1枚買う!みたいなことをしていた頃だった。

 

2003年はフジロックも最高で本当最高で、サマソニBlurRadioheadが来たりして、Creepを演奏したとかでとにかく話題になったりしていた年でもある。

 

私はと言えば学校の休み時間にひたすら洋楽版のrock'n onを毎号穴が空くほど読んでいて、その月の新譜もくまなく目を通していた。ロック界隈ではしっかりミーハーだった。

 

なんと私の誕生日に発売するアルバムがある、しかもジャケは中二病心をくすぐるデザイン。試聴した時はそこまでピンと来ていないけど、

 

なんかかっこいい!買おう。

となったこのアルバムがデスキャブとの出会いだった。

 

ただ、先ほども少し書いた通り当時の自分にはデスキャブの良さはイマイチピンときておらず、ある種ローファイチックなサウンドとクリアな声質に男らしさやアートをその時は感じられず、少し時間を置くことになった。

 

大学に入って、バイトの関係で仲良くなった人が経営するレコードバーに足を運ぶようになった頃だった。

 

「こんなの聴く?」

と流してくれたのは、そんなデスキャブがアトランティックレコードに移籍して発売された「plans」というアルバムだった。

紹介してもらった時、少し年を重ねた自分にはめちゃくちゃ最高のバンドだなって再確認させられて、「こんなに早いスパンで好みの再確認とかあるんすね!」とか言ったりした思い出がある。

 

そのレコードバーでUSインディにどっぷりハマったというのはあながち間違いじゃないのかも…

 

そんな経験の後、家に帰ってこのTransatlanticsmを再度聴いて泣きそうになった。「私はどうしようもないマセガキだった…最高のアルバムではないか…」

 

当時まだバリバリマセガキの自分が、さらに前の自分をマセガキと卑下し、なんか悦に入る

 

今思えば最悪な状況ながら、無性に懐かしくなった。デスキャブのある種出世作でもあり、ローファイバンド期からメジャーに通ずるポップネスを内包させ始めた転機作でもあるなと思ってる今作が、自分の誕生日である10月7日に発売されたこととかも運命を感じたりしてて、

毎年年明けにはこのアルバムを聴きたくなる。

 

そんな1枚でした。

 

年が終わって年がはじまり

何かが終わって次が始まるまでの間髪が無いと、一気にストレスが溜まる。年末年始もそうで、久しぶりに実家で年末を過ごしたがこんなにも忙しく、そして尚年が暮れてもまた新しい年なんて始まってしまうものだから、こちらからしたら「もう次のアニメ始まったのか…前のクールで見たかった作品も溜まってるよ。」の感覚に近い。

 

さて

みなさんおひさしぶり

結婚式の準備とかで死ぬほど忙しくて

6月以降更新もしていなかった

 

いざ実家で新婚生活始まったらさらに時間は無くなって、ツイッターを見る時間もアニメを見る時間もどんどん減った。

 

2018年を振り返るなら

結婚式が1番大きい出来事だったけど、

通年で言うなら私は「腐」の一文字だった。

とにかく腐っていた。

 

年末に差し掛かった時に思った。

かつて仲の良かった人たちや、おなじステージで音楽をやっていた人たち。それぞれがそれぞれに先へ進んだり、楽しくやっているのを見て、さて自分はどうしようか?何かできることはないのかと作戦を練るよりも先に、

 

「何もできなくて悔しい」

「自分のことなんて誰も求めていないしいなくても全く問題なく世間は動いている」

「ならばそんな皆さんの姿を見ていても惨めになるので何も見たくない」

 

というあまりにも腐った思考に陥っていった。

これに関しては後悔ばかりである。

 

もちろん忙しかったのは事実、新生活は激動で過ぎていった。

だとしても、こんな思考でいる限りは仮に時間があっても何もできるはずがないし、いつまでも周りを指くわえて舌打ちして見ていても仕方がない。

 

今年は芸人の山里亮太さんやオードリーの若林さんなど、「腐った思考」を売りにしていた芸人さんがこぞって「腐った思考のその先」を見据えた内容の書籍を出したりもしていて、

その辺からも身につまされる思いを感じたりもした。

 

いやあ本当一般人の腐りは本当エンターテイメント性ないから手に負えないよ。相当厄介だよ。ダメよ本当に

 

こんな思考でいると

楽曲も生まれないし

DJやる気にもなれないし

ギターを弾く気もしなくなってしまう。

 

腐って、勝手に周りとの距離を感じてうだうだするのを今年はやめたいなと。

 

本当にそう思って、

まず今年はとにかく2日に一件はブログを書こうと思います。

 

何かしらアウトプットを続けたいので、

まずはブログを。

それ以外にも色んな人に相談なんかもしつつ色々考えていきたいな〜と思っています。

 

やりたい

って気持ちだけなら色々ありますが

構想段階でブログとかで言うとやらないことがとにかく多いので、またわかったらここで告知とか報告させてもらいますね。

 

1年新潟でごく一般サラリーマンを過ごして、東京時代とのギャップから腐り切っていたからかとにかく思考が止まってしまってかなり参っているけれど。

 

ぶっちゃけ書くこともないんすよ

だから書くことがあるときはそのことを

 

書くことがないときは、

自分に影響を与えた音楽アルバム1枚ずつ、もしくはアニメ1作を紹介するブログにしたいです。

(これは 有田と週刊プロレスと というAmazonプライム・ビデオの番組に強く影響を受けて、自分でも何かそういうのやりたいなって思ったので。)

 

さて、意欲が湧いているうちにスタートしようと思って。こんな内容ですが、忘れられないように頑張ります。

 

ま、今年もよろしくです

ちんこ