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JOHNNYPARKというバンドでvo、たまにdjやります。現在は新潟在住

サブカルクソ野郎

*このブログは学者でもアナリストでもなんでもない一般人が「論文っぽく」書いているブログです。

 

去年くらいから「サブカルクソ野郎」

を自称する人達と活動を共にする機会が増えた。出会った人達は皆それぞれがそれぞれの遍歴で没頭した得意分野をそれぞれ持っていて、しかしながら「アニソンDJ」という場面でクロスオーバーした。

とはいえ「俺たち、サブカルクソ野郎で〜す」というような開き直りからの第一印象ではなく、趣味思考の近い後輩から紹介されて向かった飲み会では、ひたすら好きな声優さんのラジオについて話していた記憶もある。

そんな飲み会の最中で

「俺たちサブカルクソ野郎の集まりですね」

と確認し合うような一場面があったりした。

 

そんなわけでふと「サブカルクソ野郎」

について思うところがあったので、

今日はそれについてのブログにしようと思う。

 

 

 サブカルクソ野郎はネガティブワード

元々「サブカル」という言葉は国が定義した「文化」以外のもの全般であり

地位を持たない若者が独自で作り出した表現活動や

本来その国のものではないものを輸入して1部が嗜んだものが生んだムーブメント「文化っぽいけど文化じゃないぞ!」的観点からそう呼ばれている

(って大学時代比較文化研究で卒論書いた時にもそんなこと書いた気がします)

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一応辞書だとこんな感じ…

 

とはいえかつてはサブカルとされていたような文化も、現在では大衆的な産業として立場を得たので「サブカル」と呼ぶには一般的になってしまったわけで。

つまり現代でいうところの「サブカル」は

音楽、小説、漫画、映画、アニメ、ドラマ、ファッション、ライフスタイル、ホビーと同じくくりの中で

大衆向けではないな…と思われるテイストなもの

という極めて曖昧なラインになってくる。

 

ということは「サブカル趣味」というのは大衆向けではないものに魅力を感じる人のことで、そこで「クソ野郎」と呼ばれる要素があるとすれば、

周りにとってその趣味の表現が目に余る層がいるということだ。

 

つまりサブカルクソ野郎とは

自身の大衆向けではないセレクトを誇示する人

ということになり

それを嫌う人がいるからクソ野郎と呼ばれているということだ。

 

サブカルクソ野郎と痛烈なディス

 

サブカルクソ野郎

という言葉をこの機会に改めて調べてみた所、たくさんのヘイト文が見つかった。

例えば

・大衆向け作品を鼻で笑う

・人と違いますよアピールが痛い

・自分に笑いのセンスがあると思っている

・テレビを観ないことをなぜか偉そうに語る

・大衆向け趣味の人を下に見る

・いちいち通なセレクトをしようとする

などなど…

 

…………………うん。

 

………うん……こ

 

これキツい!

これ全部俺じゃん!!

くそ!うんこ!

泣いた

………

日本人は烏滸がましさを嫌う。

私も日本人らしく烏滸がましい人は嫌いだ。

現代的にいうと「イキり」だ。

日本人は慎ましやかに結果を出す人が好きだ。

謙遜し、波風を立てずにかっこいい人が好きだ。

しかしそれと反比例するかのように「没個性は悪」と思わされるようなテーマのメッセージが、私が小学生の頃に見たテレビ作品には多く流れていた。

個性的に憧れた。個性的だと思われたかった。しかし個性を表現する場所がなかった。

だからバンドを始めた…というのはある

しかし現代はSNSがあるため肥大した自尊心は承認欲求をSNSで満たす。そのSNSに溢れ出た承認欲求と自尊心は周りに疎まれ、「クソ」と揶揄される原因となる。

烏滸がましいのは嫌いだけど、個性的って思われたい。

無理がある。

 

言いたいことも言えないこんな世の中はPOISON

 

そんな愚にもつかない押し問答にも疲れ

私は自分のサブカルクソ歴史を恥ずかしく思うようになった。

思い返せば相当に絵にかいたようなTHEサブカルクソ人生だと思う。 

プレイステーションのシンプル1,000円シリーズで

THEサブカルクソ野郎

というソフトがあったら「すがゆう」出てくると思うんだよね

すがゆうのサブカルクソ歴史 (誕生期)

 

すがゆう少年は幼少期から「そこそこやれる」と褒められて育った。そのくらいから「一目置かれたい願望」は花開いていたようだった。

飛び抜けた身体能力は無いが見切って文化系に行くほど悪くも無く、飛び抜けた学力も無いが「できる寄りのキャラ」みたいな位置付けだった。

小学生時点では基本的にはテレビで供給されるものが全てで、しかしながら「一目置かれたい願望」からくる選択として深夜のFMラジオを聴く…というブームがあり、勿論すがゆうもそこに飛びついた。 

しかしそんな流れでエスカレーター式に中学へ入学した頃だったろうか

勉学、運動双方に疑問がうかぶこととなる。

 

ん?どっちもダメだな?

 

気づく瞬間がきた。

すがゆう式の雰囲気勉強、雰囲気運動がふるわず

全てちゃんとやってる人たちに差をつけられ始めたのだ。

 

あーもうだめだ

このままでは没してしまう。

しかしなんとかして一目置かれたい

 

 勉強も運動も無理だったので、それ以外の方法を探した。そんな時

「俺最近洋楽しか聴いてないわ」という

当時すがゆう少年が1番言いたいであろうクソワードと出会ったのだ。

 

「俺最近洋楽しか聴いてないわ」を言いたい

「俺最近洋楽しか聴いてないわ」でクラスのみんなに差をつけたい…

「俺最近洋楽しか聴いてないわ」の際に列挙するアーティストはどれがいいんだ?

すがゆうはTSUTAYAへと向かった。

 

しかしすがゆうはエアロスミスしか知らなかった。

エアロスミス以外何か無いのか?

今のTSUTAYAでは見かけないが、当時は

「これが好きな人にはこんなバンドがおすすめ!」みたいなポップが付いており

ちょうど当時好きだったDragon Ash

その関連でTSUTAYAがオススメしていた洋楽バンドが3つ書いてあった

・リンプビズキッド

KORN

Nirvana

すがゆう少年は中二病だった。

中二病だったすがゆう少年的にはNIRVANAほどかっこいいバンド名は存在しなかった。すがゆう少年はNirvanaNevermindを手に取りレンタルして自宅で聴いたが、マイナー調のメロディにダーティなサウンド…全く理解できなかった。

しかしすがゆう少年のモチベーションのすべては「一目置かれたい」なので、

ここで理解できないとなってしまってはこの先が思いやられてしまう。

すがゆう少年は自分をたしなめるようにNirvanaを聞き続け、ついには

Nirvanaこそ至高のバンドでカートはdopeとhypeの中で揺れ動き、最終的に自分自身を否定した現代最後のリアルパンクスだ」

 

とか平気で言ってしまうようになる。

そう、記念すべき

「サブカルクソ野郎」

の誕生である。

 

すがゆうのサブカルクソ歴史 (成熟期)

それからいろいろなことがあった。

すがゆうは拗らせた思考を案じることもせず、ひたすらにその道を突き進んだ。

 

 ゴールデンタイムのバラエティ番組を否定し

 深夜番組こそ至高と語り

ブラックのコーヒーを飲み

水曜どうでしょうを過度に賞賛し

ハリウッド映画を否定し

ミニシアターへ一人で行き

J-POPはセルアウト

日本のバンドは聴かない

ビレッジバンガードに入り浸り

松本大洋の漫画こそ至高と語り

村上春樹を読み

村上春樹のような形容詞ばかり使い

サッカーを嫌いNFLとF-1を視聴し

ホンダジョルノに乗り

modsに憧れヴェスパのように改造し

QJStudio Voiceばかり読み

ストリート系全盛の中ツイードジャケット

みうらじゅん伊集院光を崇拝し

ポップアートの画集を集め

オマーに憧れてツイストパーマをかけ

ライ麦畑で捕まえて(野崎訳)のホールデンコールフィールドのような口調でブログを書き

レディオヘッドの素晴らしさがわからないやつとは付き合えないとか言ったり

レディオヘッド最高!とか言ってるやつとは付き合いたくないとか言ったり

書いてて辛くなってきた…

あるある じゃなくて本当にそうでしたからね…

こんな感じでまさに絵に描いたようなサブカル道を歩いてきたし、

それがかっこいいと思ってきたし、そうやって自尊心を保ってきた。

 これをサブカルクソ野郎と呼ばずしてなんと呼ぶか………

 

そして20代後半

金も信用も無くしたくらいの頃

すがゆう青年はそんな自分に客観的に絶望し、

上記のような言動を思い出しては

「なんなら1番型にはまってる」と自覚して凹んだりもした。

まあよく語るけれどこのあたりで

マジで死ぬかのところで本格的にアニメを見るようになった。

 

サブカル道をかなぐり捨て、泥臭くアニメを愛し、輝いている人たちに強い僻みを抱きながらドブネズミのような目で数年を過ごした。

アニメもサブカルでは?

もちろん定義上はそうだ。しかしこの記事でいうところの「サブカルクソ野郎」とは少し離れていたし、そもそも今でこそ当たり前に見ている人も多いと思うけれど

「サブカル男子」って聞いてまずアニオタを連想しないだろ。「アニメも見ている人」くらいだろ・・・それにこの頃はもはや自分に自信が一切無くなっていたので、何かに没頭したかった。それもそうだし美少女アニメを見ていて心底癒されたの。

 

癒されたの…

 

そんな日々も過ぎ、

諸々落ち着き始めた頃だった。

改めてバンドやDJ、ファッションなどにおいてかつて愛したサブカルチックなものを一周して愛おしく思うようになっていた。

あと、うんこ とか ちんこ とか前より言うようになった。

 

誇示する気持ちは以前より抜け落ち、

しかしながら相変わらずサブカル系に終始する若者を蔑み、昔の自分をくそだと自虐しながらも、存外サブカル趣味をあえて表に出して行くことに前向きになっていった。

 

 すがゆうはサブカルクソ野郎として

第3フェーズへ移行したのだ。

サブカルクソ野郎と名乗ること

 例えば当時の自分だったら「俺はあいつらとは違う。」「俺はサブカルクソ野郎ではない」と言い聞かせていただろうし、今の自分なら「俺はサブカルクソ野郎なんで、恥ずかしながらこういう時つい斜に構えてしまったりするんですよね」なんて言ったりするんだろう。

サブカルクソ野郎 という言葉がどこでどのように生まれたのかは知らないしあまり興味がない。ただサブカルクソ野郎はこの東京に腐るほど生息していて、その中で歳を重ねた者の中には、未だそれを貫き通す者、気づけば社会に迎合し家庭を持ち離れた者など様々だろう。

しかしその中に

社会を経験し傷ついたりしていく中で、尖った牙は荒波で丸くなり、反芻して己が痛さを受け止めつつも、尚それを抱きながら何らかの界隈にぶら下がっている者もいる。

体育会ノリのクソつまらないイジりも

パリピノリの深みゼロの会話も

文化系のイキリ合戦も

どれも馴染めない

 

パリピにもなれず

お洒落を極めることもできず

リアルオタクにもなれず

 

けど普通でいたくないから音楽の界隈にいる

俺には音楽しかない

no music no life

そんな言葉は確実に嘘だし、そんなこと言ってるやつが普通に結婚して普通の仕事に就く様を

たくさん見てきた。

みんなまだ普通でいたくないだけだ。

すがゆうもまた、音楽が無くても全然生きていけるけど、音楽やってる自分が普通じゃ無くて好きだから続けている。

 

そんなこと言ってるから

バンドマン界隈でも友達少ない

 

全てになんとなく馴染めずにいたりする中で

そんな爪弾き者が理論武装して自我を保っているような状態でア二ソンDJという共通のサブカル特異点で出会い、同じような仲間を探して行なっているイベントがある。

 

それが中野雷神毎月第二木曜日に開催される

 

アニソンエレクトロラウンジ

通称AEL ( #AEL164 )

 

 実はこの思想、

自分が1年前までオーガナイズしていた

ERAっすか⁉︎レボリューション

というイベントとほぼ同じで驚いた。

 

彼らは上記のように

社会に出て自分がサブカルクソ野郎だと自覚しつつも、いまだに「他人と違っていたい」気持ちを持ち、アニクラという界隈に身を置いている状態にあってもオルタナティヴであろうとしている。

音楽的美意識やエモーショナリズムを重視し、それぞれのサブカルクソイズムを織り交ぜながら毎月プレイを続けている。

 

シーンを揺るがすことも

アニソンというサブカル内でのメインストリームに迎合することも目指さず

世間から求められていないことも理解しながら自分の好きな曲を流して共有する。

それって個人的には逃げ場だとは思わなくて、それぞれの居場所作りとして考えれば何も恥ずかしいことではないと思う。

それでも一応イベントとして外向きに伝えるものとして

サブカルクソ野郎がアニソン流して語らう飲み会

と自虐込みで定義するわけだ。 

 この一年そんなイベントと取り巻く皆さんに惚れ込んでしまい、仲良くさせてもらってきた。個人的にはとても嬉しいことだ。

そんな出会いを反芻する中でこのブログ書こうと思ったわけだしな。

 

 

まあ何が言いたいかというと

 

サブカルクソ野郎という言葉は

イキりではないぞと

開き直りでもないぞと

サブカルクソ野郎はかっこよくないぞと

そういうことだ。

昨今「萌豚」「老害」などの言葉は非難するための言葉だったが逆転してイキりワードになってしまっている節がある。

そうなって欲しくないので、サブカルクソ野郎を目指さないでほしい。憧れないでほしい。

後悔してるし黒歴史だけど捨てられない人が名乗ってほしい。

慎ましやかにサブカルクソ野郎を自称していく小心者な男でいたい。

だって人から非難されるのつらいじゃん。だから自分らわかってますよ。そっと見守ってください。ご理解いただけるなら一緒にいかがですか?と

そういう話なんだと思う。

 

つまりここでの サブカルクソ野郎 というのは

ジョー・ストラマーが自分の名前を

ストラマー にしたっていうのと同じようなものだと思う

 【ジョー・ストラマー

1976〜1986にかけてイギリスで活動していたパンクロックバンド「The Clash」のメインボーカル。strummerという芸名は彼自身がギターをコード弾きで掻き鳴らす(strum)程度にしか上達しなかったことから自虐的に名付けたと言われている

 

そういうとなんかかっこいい気もするからな…

これって開き直りか?

まあいいか。

うん

そんなわけで

 

このすがゆう

これからも恥ずかしげにサブカルクソ野郎として

かっこをつけつつ、ふざけつつ

日々を過ごしていきたいと思います。

 

で、このイベントの3/8に開催される回には

私すがゆうも参戦します。

たぶんあと2回しか都内ではDJしないので

良かったら見にきてね!

 

 

 

 

 

fin