寿司からの解放
先日メディアから受けた寿司の洗脳
その洗脳からの脱却のために今日は寿司屋へ行くことにした。
たまの平日休みで悪天候でもあったためか休日は数十人並ぶ人気の回転寿司もオープン後一番乗りすることができ、幸先の良いスタートを切った。この数日間、「寿司を食いたい」としか発しないほどに侵食されていた。恐らく僕は国の機密事項をどこかで知ってしまい、メディアからその情報を消すために「寿司」による洗脳を施されたのだと、そう思うことが日常の推進力となり、このブログを書いているときにはもう僕は「寿司ロス」になっている。
僕の幼少期、誕生日と言えば回転寿司だった。
ほぼ確定で3人兄妹だれの誕生日でも回転寿司だった。そのループは長女が高校生の頃「今年は寿司ではなく焼肉がいい」と主張するまで続いた。
僕はマセたクソガキだったので、
「えんがわ」や「ウニ」を好み
それをクラスメイトに偉そうに語った。
ひどいもんだ。
その後大学生になり、自分の金で寿司を食べるようになると百円寿司へ行くようになった。
当時の百円寿司はクオリティがそこまで高くなかったので、サーモンやイカだけで妙に種類豊富だったがそれをひたすら食べていた。
正直ここで高めの回転寿司と百円寿司との境目が曖昧になり、「そんな変わんねえだろ」とまで価値観は揺らいでいた。
僕の中で回転寿司の特別感は薄れていった。
そして
大人になりまた実家の美味しい回転寿司に来た時、ここでまた舌が肥えていたことに気づいた。寒ぶり、ノドグロ等の脂がのった美味しさを感じつつ
白身魚の良さを初めて知った。
白身魚ってこんなに美味いのか
白身魚って淡白すぎて焼魚やフライ、天ぷらの方が合うと思ってきたが
こんなにプリプリで美味いものか
嬉しかった
どれも最高に美味かった
こうして寿司をたらふく食べた僕は
晴れて寿司の呪縛から解放され、
「寿司食いたい」
以外の言語を身体に戻してもらった。
食べ終わり帰路につくことに
とはいえど平日で人も少なかったし、もう少しゆっくりしていこうという話に。
では口の中も魚感が残るので
同じ敷地内にあるお洒落なカフェでコーヒーをテイクアウトして帰るのもいいね
なんて奥さんと話しながらカフェに入ろうとすると
5〜6席無いくらいの店内を3人の女が広く使い、ほぼ占拠しながら写真をパシャパシャ撮っていた。
見るからに
「自分たちが世界の中心と錯覚している典型的サークルクソ大学生」
という出で立ちで写真を撮っていた。
もちろん僕はそのお店に入ることを諦めた。
ああいう奴は自分たちが主人公の物語を楽しんでるうんこ女なので、関わるだけ損しかない。自分が大学生の頃まさにそうだったからよくわかっている。
寿司の呪縛を克服した僕は
そいつらにクソを漏らす呪いをかけ
自らもクソを出し
いそいそと帰宅した。