映画の話
僕はあまり映画を見ない
あまり小説も読まない
僕が小中学生の頃、ある一定の頭の中は漫画やゲーム、J-pop、バラエティとテレビドラマで形成されていたわけだが、世の中的には「上等な趣味」として常に読書と映画鑑賞があった。
もちろんロードショーやレンタルで映画を見ることはあった。面白かったタイトルも多々あるし、サブカル趣味として好意的な作品もあるが、「映画好きです」と言えるほどの映画的なフェイバリットも無く、小説に関しても同じく今まで何冊も読んでは来たが、環境によって読む機会が限られてくる上にそれほど読んでいないので「読書家」とは程遠いと思う。
僕には色んな趣味があり音楽は1番の趣味になるとは思うが、映画と小説に深い洞察力が無いことに多少のコンプレックスはあった。
面白い面白くないの尺度も曖昧で、サブカル的知識欲求から要素ばかりを好んでいたせいか映画の良し悪しを判断することもできないでいたのだろう。
アニメを見るようになってからというものアニメ映画を見る機会が増え実写映画からより遠のいてしまったが、この時多数のアニメ作品を見ることで「作風や内容の良し悪し」がここにきてやっと判断し得るだけの尺度として機能し始め、ここで初めて作品に対して「許せない」という気持ちを持つようになった。
つまりある程度視聴者としてなんとなく観続けてきた自分にとって
「とても好き」「なんか嫌」の理由や判断力をもらったのはアニメのおかげとも言えるし、それまでに観てきた映画に申し訳ない気持ちにさえなった。
そんな折、結構前の話になるが
奥さんがサブスクを利用して映画を見ようというので一緒に見る機会があった
そこでもう何年前の作品となるか
「劇場版 踊る大捜査線3」を観た。
僕はテレビドラマの映画化に魅力を感じないタイプではある。テレビドラマそのものは小学生時代に見てそこそこ好きだった記憶もあったので観ていたのだが…
ここで初めて奥さんには申し訳なか思いつつ
「ひどい…なんだこの映画…」
という気持ちになった
どこがひどいと思ったかは色々あるが
登場人物がほぼほぼ馬鹿すぎるように見えた点が1番だろうか…
そこで初めて映画に対して自我と批評的目線を感じた。
自分で思い返しても目覚めが遅すぎて悲しくなった。以前にカレー馬鹿舌からの脱却も含めて、僕の中高大学時代というのは音楽以外に痛いところがありすぎて悲しくなるばかりだ。
タイムマシンがあってもどの時代にも戻りたくないし、強くてニューゲームするならもっと食や文化に対して「奥」を覗くようにしたい。そればかりである。
そんな映画への気持ちがありつつ、新たに色々な映画を観る時間も意欲も沸かない現状だったある日、YouTube上でオススメに「映画批評」が現れた。それも先ほどの踊る大捜査線についてだった。見た後の消化不良感で検索したためだ。
映画批評を情報番組で見かけることはあったが、それまでは「うるせえ…感想とかはそれぞれでいいだろ」と思っていたのだが、ライムスター宇多丸さんの「シネマハスラー(現:ムービーウォッチメン)」と今更出会ってそのアーカイブを聴くことで衝撃を受けた。
批評家というのが「映画を凝り固まった考えに当てはめて点数をつける人」と思っていた自分からするとかなりの衝撃で、
映画の良さ、着眼点に関してのガイドラインをなんとなく知ることができた。
どう受け取るもそれぞれ
なものであるはずの映画だが、僕のようなタイプには「映画の楽しみ方」の授業を受ける必要があったのだ。
そこで先述の「踊る大捜査線3」に関してもかなり酷評されていた。とても前のアーカイブで何年越しで聞いてるんだよ…と思いつつ僕がむむむと思った点をしっかりと批評してくれており、かなりの時間差でもってそれを味わった。
その後も沢山の観たことがない映画の批評を聞くことに楽しさを感じるようになり、なぜか「見たことない映画の酷評を聴くこと」が趣味と化してしまった。
もちろん絶賛の批評も楽しいが、なんとなくタイトルや宣伝を見て「これクソそうだな…」と思っていたタイトルの酷評を聴いていると心が癒された。
完全に歪んだ楽しみ方だと思うが、
なぜかそれをやめられない。
おそらく深夜ラジオ好きという趣味にリンクして変な方向性を持ってしまった結果なのだろう。
最近は宇多丸さんも酷評目当てで日本テレビ屋系映画を批評する機会も減ってしまったので、映画批評系のYouTubeチャンネルで、世間的に不評な映画などの酷評ばかりを聴いている。
特に今年は
僕はインキュベーターなのか?
わからないがいつかこの酷評系の映画たちも自分の目で見るようにしていきたいし、頭でっかちにならずに生きたいし、その情報だけで観た気にならないよう気をつけていきたい。
という気持ちで今日、酷評を聞いたついでに一作の実写化タイトルを観たのだが…
うむ
何やってんだろう…
クソして寝る。