むいていない2
僕は外食にむいていないと思う。
僕は繊細すぎるのかもしれない。
なぜそう思うかといえば今日のこと
ある新潟の人気ラーメン店へ行った際に
あくまで個人的にだが
「こういう客いると本当イライラする」
と思ってしまうようなタイプのお客が
ジャンル分けにして4タイプくらい同時に混在していたからだ。個人的には発狂してしまうのでは?と思うほどに嫌だったのでここに記したいと思う。
今朝。奥さんと「今日は何を食べよう?」と話しているとやはりラーメンという選択肢が出てきた。僕も奥さんもラーメンがとても好きなので、出かける際にラーメンを食べる確率はとても高い。
奥さんは
「燕三条系の背脂ラーメンが食べたい」
とのこと。
ではせっかくだし「滋魂」にしよう。
滋魂は新潟市内で燕三条系の本格的ラーメンが食べられて、それでいて独自の進化を遂げているとてもおいしいお店だ。
だからかどうかはわからないが食べログでも新潟市内1位という人気店で、基本的に休日はいつ行っても行列は免れない。
なので開店と同時のタイミングを狙って早めにいくことにした。
一部の魅力的例外を除いて、食べログでの評価を僕は割と気にしている。「食べログ3.5以上のお店を選べば味的にも接客的にも大ハズレすることはない」という理論を自分も経験則から信用している。
食べログに左右されることのダサさもわかるが、僕は確固たる「ここ」が無い場合の選択肢においては美味しいお店へ行ける率が上がる方が嬉しいので食べログは見る。
都内でも食べログの数値が高いお店へ足を運ぶと、そこそこ待つことも多いが結果行ってよかったと思うことの方が多かった。
しかし
食べログとはみんな見ているもので、
ある程度高くなるほど客の種類も増える。
僕たちは「ある一定基準を越える味と接客」
これは選ぶことができるが、
そこに集まる客の質までは選ぶことができないし、人気店になればなるほどその質は下がる。
それが今回巡り合ってしまった、クソ+クソ+クソのロイヤルストレートフラッシュだったのだから悲しい限りだ。
僕は20代の頃飲食店でのキッチンの仕事の経験がそこそこあり、奥さんもアパレルの接客業出身なので、「クソ客」へのアンテナが敏感で、自分たちもそうならないよう日々店員さんへのリスペクト忘れず、気をつけて過ごしているつもりだ。
僕と奥さんは11:00オープンのところ10:45に到着。すでに入り口の周りには待っている人が点在していたが、案内待ちリストに名前と人数を書いて、1番まともに順番待ちしている男性の後ろに並んだ。
新潟の飲食店はあまり行列ができない。
「名前を書いて呼ばれるまでそれぞれ待つ」
というスタイルが一般的だ。
新潟の人間は行列の作り方を知らないと僕は思っている。
入り口付近にざっくばらんに溜まる。
これが面白いもんで名前を書かずに先頭から案内する店、もしくはコンビニのレジでもそうなることが多い。
そんな経験に辟易した僕は
行列ができない仕組みなのではなく、
県民に列で待つ能力が無いと判断した。
僕はまずこれが嫌いだ。
アジア某国のバスの待合い風景をテレビで観て馬鹿にするくせに、自分達もそれができない。
規律重視などではなく、すこし頭を使えばわかるはずだ。通行の邪魔にもなるし、どの順番なのかわからなくなる。非効率的だ。
これを「おおらか」というならそれもいい
しかし
「おおらかさ故」とするならば有り得ないような傍若無人な客もいる。
10:50、開店まであと10分だ。外は少し肌寒かったが実際この店は名前を書いた順に案内されるので車で待っていても別によかったが、僕と奥さんは気分込みでそのラーメン屋の前で待っていた。
すると待合いの1組のファミリーの母親がなにやら扉の前でイライラとしている。
そして何をするかと思えば急に開店前の店内に入り、何か思ったがすぐに出てきた。
トイレでも借りに行ったのか?
僕はそう思っていると、ブツブツと家族に愚痴をこぼしている。聞きたくもなかったが、周りにも聞こえるほどの大声だったので耳に入ってきた言葉に耳を疑った。
「席空いてるんだから、中で待たせてもらってもいいじゃんね?おかしいよこの店」
これはこれはヤバイ人間がいたもんだ。
そもそも僕は大人向けのこってりなラーメン屋に子供を連れてくる親が嫌いだ。新潟はファミリーでラーメン屋へ行くことが割とメジャーな県民性で、カウンターのみのラーメン屋というのはほとんど存在しない。
その店はかなりこってりな背脂ラーメンがメインの店であり、しかもそこそこな待ち時間になることはわかり切っているため、そこにファミリーで来る時点から割と気分が悪かったにもかかわらず、
さらにこの発言で
行列不要な県民性の一枚看板
「おおらかが故に」は崩壊した。
これが開店後の待合いでなされる話なら接客に少し思うこともあるが、今は開店前だ。
店側が「皆平等に順番に案内するための準備」をしている時間だ。ましてやウイルス問題で1番衛生的にもシビアなタイミングだ。そんなこと普通の人間なら誰でも想像可能な話だ。
しかしここで店員さんが1人外に出て待ち状況を確認しに来たところ、すかさずその母親が噛み付いた。
「あの、外寒いんですよ。子供もいるし中で待てませんか?席あいてますよね?」
店員さんは落ち着いた様子で
「すみませんがまだ開店前なのでご案内はできないんですよ。先着順ではないのでお車等で暖を取られてお時間までお待ちいただいてはいかがでしょうか。お席はご用意しておきますので。」
100点の対応である。
開店時間も公表しているラーメン屋に勝手に開店前に来て、
「寒いから中で待たせろ。」
「準備とか知らん。」
「席あいてるだろ。」
こいつの頭がイカれてることに関しては誰もが同意見だろう。これに何も言わない父親も問題だが、結局そのファミリーはその後も屋外で待ち、母親はギリギリまでブツブツと周りに聞こえる音量で愚痴を吐いている。
この世で1番関わりたくない人種だ。
11:00開店し、先ほどの店員さんが待ちリストを上から1組ずつ中へ案内していった。
しかしその母親は案内される前からぐいぐいと店内に入ろうとする。父親も止めない。子供は困っていた。
店員さんが適度に入り口を塞ぎつつ、なんとかそのファミリーまでを案内しきり、やっとのことでそのファミリーは入店した。
これはルールやマナーなどの次元ではなく
お客様は神様論の範疇でも無い。
本能で動くただの自分勝手なクソザルの対処の話だ。
夕方のニュースで民家に侵入して警察が手を焼いて20人がかりで保護するサルのニュース。
ほぼそれと変わらない。
「規律なんていうものは人間が決めたもので、むしろ彼らの住む世界を僕らが狭めてしまったんですよ」
ということだ。
令和タヌキ合戦ぽんぽこなのだ。
幸運にもこのファミリーとは遠い席を案内された僕らも注文することに。
しかし
上に書いた通り先ほどのクソファミリーは
「こういった客がいるとイライラする」
の1パターンにすぎず、この後僕はまだまだイライラすることとなる。
まず奥さんと楽しみにラーメンを待っていると
奥の方から会話とは違う謎の音声が聞こえてくる。目をやると若い二人組がスマホで音を出してTiktokを見ていた。
僕は昔から、公衆の場や飲食店でスマホから音を出している人が嫌いだ。その音が不快かどうかではなく、配慮の無さに落胆するのだ。
そして次に左隣の夫婦、
夫が注文後に店員を再度呼び
「あの〜。僕が頼んだラーメン、背脂を『鬼アブラ』にしてもらっていいっすか??」
と言い出した。
店員さんは「その1段階下の『大アブラ』でもかなりのアブラで丼一面真っ白な感じなんですけど…『鬼アブラ』にされます?」と答えた。
するとその夫は恥ずかしそうに「あ…じゃあその『大アブラ』で…」と答えた。
そしてそのあと妻に「たぶん食えるけどね。まあまず今回はこのくらいにしておくか…ふぅ」とイキるイキる。
僕はラーメン二郎をこよなく愛しているので知っている。こういうイキリ野郎は背脂を食べたいのではなく、背脂をたくさん食べる自分を見せたいだけなのだ。とても嫌いなタイプだ。
そして右隣は先ほどとは違うファミリーだった。子供がスマホでYouTubeを音出しで見ている。それを注意しない両親にも心底呆れるが、最近はスマホを持たせないと泣き止まない子供がいるというのも聞くのでまあ仕方ないかと思っていると、子供のために取り皿が欲しかった父親が店員さんを呼ぶ
「あのさ、子供用の取り皿とかある?1枚もらってもいい?」
きました
僕が大嫌いな「タメ口おじさん」だ。
タメ口おじさんとは
「お客様の見た目が自分以下だと思われる場合は店員にタメ口を聞いてもいい」と思っている思い上がりの強いうんこ人間だ。
初対面だろ?
この人がお前と家族のメシ運んでくれなかったら食べられないんだぞ?
お前急に初対面からタメ口で話しかけられて気持ちよく仕事できんのか?
この日僕は他種のクソな客と出会った。
①開店前に無理矢理中で待たせろと強要する家族の母親
②飲食店の店内で他人には耳障りなTikTokを平気で鳴らせる若者
③妻にイキる夫
④子供に音出しでYouTubeを見せ、店員にタメ口を聞く父親
⑤それに舌打ちする僕
クソ客界のアベンジャーズがここに集結した。
なかなかない邂逅だがそれを感じ取っていたのはたぶん僕だけで、過剰にイライラしていたのも僕だけだろう。
こうなるともはや僕もクソ客だろう。
クソ客でいいよ。
こういった出来事で割と美味しく感じなくなってしまうほどならそもそも人気店に行かなければいいわけで。
僕が間違っている。
気が短いという意見もあると思う。
何より僕の奥さんに申し訳なかった。
けど思ってしまうんだ
東京にいる頃は遊ぶ街も行くお店も、あまりファミリーとあたりづらい場所を選べたし、そうしていたので気になるのはきゃっきゃうるさい若者くらいのもんだった。
新潟は若者向けな味付けや雰囲気のお店にも平気でファミリーや老人が入店したり、そこで無茶な注文をしているのを見かけることがある。
回転が命のラーメン屋で、何人も待っているのに食べ終わってしばらく退店しないファミリーとかもよく当たる。
これは田舎あるあるで、新潟だけのことではないのかもしれないが。
そりゃトイレットペーパーも買い占めるわな
ここにいるやつ全員自分のことしか考えられない奴なんだ。
ラーメンは美味しかった。
花椒が効いた豚骨味噌。
人気店なのも頷ける。
しかしこの日僕は思いもよらない心のダメージを負った。このラーメン屋さんには当分行かないと思う。
僕はたぶん外食に向いていない。
個を消してサラリーマンなどが単身で訪れるようなお店を中心に行くべきなのだ。
それかそれをかき消すほどの圧を与えるラーメン二郎。とはいえ二郎ですら新潟店は列形成が曖昧でイライラするけど。
あ。だめじゃん
またイライラしてるわ
僕外食向いてないわ
もうダメだ
クソして寝る
デイリーヤマザキ
デイリーヤマザキが好きだ。
パンを焼いている店舗が好きだ。
そしてなにより今無性に、
あのデイリーヤマザキのギトギトのホットスナックが食べたいのだ。
特に僕が大学時代には近辺にあったが意識することはなく、まだコンビニが今よりも乱立していた頃だ。
くりぃむしちゅーがラジオでデイリーヤマザキのプライベートブランド「良味100選」のカレー横綱あられをフィーチャーした時になんとなく注目したくらいだった。
隠したくなる美味さ
ってやつだ。
そして月日が流れると
サンクス、サークルK、セーブオン等のコンビニたちは淘汰されていくことになる。
そしてセブンイレブン、ローソン、ファミリーマートはコンビニとしてどんどん競争を重ねてホットスナックも高クオリティで充実していく。こう見えて僕は自分でアルバイトなどをするようになったくらいからコンビニのホットスナックをこよなく愛している。
もちろんそこで食べるホットスナックは美味しい。ファミチキも、セブンの揚げ鷄も、ローソンのゲンコツメンチももちろん好きだ。
ローソンに関しては一時期他種に着手しすぎてわけがわからなくなっており、駒込駅前のローソンの外人店員がまたしこたま揚げてくれているもんだからついつい食べてしまう。
そして僕は太った。
太った話はここでは掘り下げないでおこうか。
しかし
当時その3店舗以外で味わってきた、なんというか身体に悪そうな大味なホットスナックが恋しくなってしまう時がある。そんな時にデイリーヤマザキは僕を暖かく迎えてくれる。
デイリーヤマザキの店内から漂う独特のニオイにくらつきながらもセルフサービスのホットスナックを包み、そのギトギトさを味わう時に逆にとてつもない懐かしさに包まれる。
なぜだ。なぜセルフサービスなんだ。パンのお盆を持っていて片手しか使えない時はホットスナックを包めない。
しかし大学時代、スリーエフ、サンクス、サークルK、AmPmで嗜んできたあの1ランク下がりながらあの確かな「ジャンクさ」を持ったギトギトのホットスナック…
待て、ポプラはまた別の素晴らしさだ。
とにかく僕が今「アレ」を味わえるのは他でもないデイリーヤマザキだけだ。
そしてヤマザキと言えばパンだ。祭りだ。
近年デイリーヤマザキの店内でパンを焼く店舗が増えてきた。このパンコーナーに置いているパンの絶妙なジャンク感がまたたまらない。
塩パンも絶妙にちゃんと塩パンなんだよ。さすがヤマザキ。パン祭り。
焼きたて のポップが付いているのにぬるかったりするところも好きだ。
デイリーヤマザキにある若干のコンビニ的アマチュア感が僕がデイリーヤマザキを愛する理由だ。今では失われたあの懐かしさ。昔のサービスエリアのフードコートでジャガベーに憧れ、そばめしに憧れた。夕飯前で買ってもらえなかった。そんな郷愁を味わうことができる。
そして今もあの黄色い看板を見かけては定期的に足を踏み入れてしまう。スイーツコーナーにある謎な菓子パンに目が奪われる。
デイリーヤマザキ。いつまでも生き残ってほしいコンビニだ。
明日はあのギトギトのチキンを食うことにする
クソして寝る
恐ろしく日常
日常がやってきた
日常というものの神髄だ。
日常はマイナーチェンジされつつも
なにも変わらずにそこにある
今仕事関係の大きい山場を終えたので、一人ウィニングランのごとく気持ちのロスタイムをブログという形でここに叩きつけているところだが、正直この仕事を業務時間内にやらせてもらえないことにいまだ納得はいっていないが、こうやって恩を売ってすぐに塗り替えてやるという野心も少なからずあるのでとりあえず腐らずにやった。
とはいえここ最近ブログを書けずにいたのは忙しかったからではない
日常という普遍的な価値観に、勝手に溺れた結果だと今は思っている。
インプットが無いということもない。
Ásgeirの新譜も、King Kruleの新譜も、Isobel Campbellの新譜も、Skillkillsの新譜もすばらしかったし、ドロヘドロもとある科学の超電磁砲Tもちゃんと素晴らしい。ヒーリングっどプリキュアに癒され、約束されたようにキュアスパークルと平光ひなたに心底心惹かれ、「あざとイエローにわかりやすく釣りあげられるオタク笑える」とか斜に構えて見てるバカに心底嫌悪し、映像研には手を出すなは手を出したものの進んでいないが、ラジオもたくさん聴いて精神を落ち着けているし・・・
しかしそれもこれもどれもこれも日常に埋もれていった。
僕は日常を面白く切り取ることを目標としたが
あまりにもそれが日常の深淵に迫ると、それを切り取ることすらもできなくなっていく。それほどに僕は中途半端な位置にいた。
日常という小さい箱をインナーワールドに取り込んで大きく展開することに長けた語り手は僕の中で伊集院光さん。
日常という小さい箱の小ささを笑いにすることに長けた語り手は僕の中で岩井勇気さん。
僕は日常をインナーワールドに取り込んで、そのままフリーズした感じで日々を過ごしていた。難しいものだ。
脳みそが活動をとにかく嫌がる。ウィンターブルーは速度を増してさらにさらにタチが悪いものになっていく。そして僕は気づくとシャニマスをひたすらにプレイする。心無くシャニマスする。
「自分の軸になる趣味や好きなものをやる気がなくなったら危険シグナル。転職を考えたほうがいい。」
twitterでこのような言葉を見かけることがある。
しかしながら僕は本来やりたい趣味やそのものはある程度享受できている。きっとできている。何より今一番楽しい「食事」を楽しめている。バラエティ番組も今や楽しんで見ている。アニメも無理することなく好きなものを適量摂取する。
しかしそれを「言語化する」「文章化する」という行動が億劫になっていく。自分としてはかなりライフワークでもありリハビリでもあるこの行動にどんどん億劫になる。
こんなんでいいのか?と思っては頭の中でバックスペースを叩いている。
これは危険シグナルなのだろうか。
そんな押し問答が昼夜繰り返される脳内とは反して穏やかに日常は進んでいく。
つい先日、久しぶりに友人と遊んだ。
奥さんと友人と3人で車で外出。
「たまにはいいよね」と
マクドナルドでジャンクなブランチに興じた。
その後僕の家で少しだらりと過ごす。
この時間こそ欠かせない。これを間に挟むだけでリラックスしたぞというある種達成感を得られる。
僕達は「ドロヘドロ」をたんまり鑑賞し、
その後温泉施設へ向かった。日曜ということもあり年寄りで混雑しており、外気浴は風ひとふきで整うほどに寒く、しかしながらしっかり3セット堪能。そのまま友人のいきつけの焼き鳥屋へ向かい、そこでしこたま飲み食いして上機嫌で帰った。
焼き鳥屋のトイレには
愛され若手従業員の身内向けないじり文の掲示物が貼られており
「あ~これこれ。この感じ」
あんなにも嫌っていたこのノリをなんだか優しい眼で見ることができていた
twitterに溢れかえるヘイトを浴び、日常にほだされ、
気づけばただただ漂っている気がした。
こうやってあらためて胸中を文章化すると、
こんなにも日常を生きているのにむしろヤヴァイ人になっていっているような
世間的な日常感を逆行してしまっているような。
身体は正しいコースを進んでいるのに、心は逆走しているかのような
あらためて今文章にしながらそんな状態を面白く感じ始めてきた。
この日久しぶりに酒に酔いながら
いつもなら周囲にメンチ切ってイライラするような
ガヤガヤとした店内に「いやあいい店だね」と漏らすほど
そんな自分を客観的に見て、自戒するばかりであった。
というわけで
これからは日常へのひねくれを排し
身を任せ、面白さを探していこうと再度思い直しました。
世間はウイルスで持ち切りだが、僕は日常と再度向き合っていこうと思います。
うんこ
お客様は我が味の師なり
今日久方ぶりに家系ラーメンを食べた。
家系ラーメンとは今では都内近郊にありふれたものだし、新潟市内にも家系と名乗るラーメン屋は多数存在する。出自は六角家が多い。
しかし今日食べた家系は
家系総本山 吉村家直系のラーメン屋
上越家
これがどのくらい素晴らしいことかというと
吉村家が家系ラーメンの中でどれだけのものかという優位性よりもなによりも、僕にとって思い出の味そのものだということだ。
僕のラーメン遍歴の岐路と呼んでもいいこの出会いは大学生の時だった。
僕が高校生の時点でよく足を運ぶラーメンは一般的な醤油、味噌、塩が多く、博多豚骨タイプのラーメンも食べることはあったが特別好きだったというわけでもなかった。
県外から来た名店のチェーンもいくつか存在したがそこまで流行らず、なんとなく誰かに誘われた店に行くという流れが多く、実際あまり食にこだわりがなかったとも言えるかもしれない。
大学に入りしばらくすると
どうやら大学の近くに
地方から進学して来た人間には未体験な
どぎついラーメンがある
ということを知った。
僕やJOHNNYPARKのメンバーが通っていた大学の生徒は、地方から進学して右も左もわからないタイミングで慣れてきた頃に先輩からの洗礼とばかりにそのラーメン屋へ連れて行かれ、「これが神奈川が誇るパンチのあるラーメンだ」というのを味わい病みつきになる…
という流れがある。それが何を隠そう家系総本山、吉村家直系のラーメン屋だったのだ。
最初は驚きだった。
まずは行列だ。そもそも新潟にいた当時はラーメンを並んで食べるということをしたことがなかった。そして券売機で頼むラーメンを選ぶと、紙の食券ではなく色のついたプラスチックの札がコロンと落ちてきた。
「え?こんなもんで管理できるの??」
その当時はラーメン屋さんがどのようにオーダーを管理しているかすらも知らなかった。
そして店主からお好みを聞かれる。
これも新鮮だった。味の濃さ、麺の固さ、油の多さ…それを選べることすら新鮮だった。
そこで出てきた家系ラーメンに度肝を抜かれた。そしてそれを見てこれ見よがしにニヤつく先輩達。しかし実際豚骨ベースのラーメン=博多系の豚骨ラーメン意外食べたことなかったし、なによりこのカエシの濃さ、ギトギトの鶏油が海苔やほうれん草に染みて暴力的な味だった。
それからというもの
僕は取り憑かれたようにそこへ足を運び、学年が上がれば後輩をそこへ連れていき、これ見よがしにニヤついた。
そんな大学生活を終えて神奈川を離れてからも、その頃には吉村家とは違うが家系ラーメンのお店が点在しておりラーメンの1ジャンルとして色々行くようになる。しかしながら、吉村家直系のラーメン屋へ行く機会がなかなかなかった。
吉村家直系のラーメン屋は全国に8店舗
その中でもほとんどが神奈川にある。
僕が10年前に行っていたそのお店はもうすでに閉店してしまった。新潟にある他の家系ラーメンのお店は美味しかったが、やはり何か足りない。何か違うと毎回思ってしまう。
新潟に直系のラーメン屋があるということで俄然食べたいという気持ちになっていたが、新潟の中でも長野寄りにある店舗のため家から高速道路で2時間かかるため、なかなか行く機会もない。
ちょくちょく上越へ行くタイミングは訪れるが、いつも上越家へ辿り着かず終わってしまう。上越であった仕事関係の出張の帰りに食べて帰ろうと思っていたら事務員のおばちゃんを乗せて帰ることになってしまい、心底不貞腐れながら高速を飛ばして帰りむしゃくしゃと焼肉を食べた記憶もある。
今回こそはと意気込んで向かったのが今日だった。これだけでも長野出張へ行った意味はあると思っている。
久しぶりに食べた直系の味は、まさに思い出の味そのもので、本当に美味かった。
スープ、酒井製麺の麺、燻製を感じさせる薄切りのチャーシューもまさにそれだった。
全く同じで、すべての過去が思い出されてなんだか泣けてきた。
まさか10年もかかってしまったけど、
新潟でもこれを食べることができるというのが本当うれしい。
次はいつになるかわからないけど、
あの褐色のスープ毎日すすりたいんで
誰か行きましょう
それくらい感動したってこと
平光ひなたを見習え
平光ひなた というヒロインがいる。
まだ登場していないが今のところ好きになることが約束されている。
ヒーリングっど♡プリキュア
に登場する予定のこのキャラクターのキービジュアルが発表された時から、ルックス的に僕の愛するとあるキャラに類似しており、ぷり、その瞬間から脊髄レベルで惹かれ、完全に誘導されるがままにファムファタルの座をリザーブしていった。
まあ見た目だけで判断するのは通ぶりたい気質の僕としても本意では無いため、どのような性格なのか少し公式ホームページを覗いてみた。
"明るくてノリの良い元気でフレンドリーな中学2年生。どうでもいいことから大事なことまで、思ったことをすぐ口に出してしまうタイプ。勉強は苦手…。間違ったことをしたときは「ごめん!」とすぐに謝れる、素直な子。"
衝撃が走った。
僕が人を愛せるか愛せないかのバロメーターで割と重要視しているのは「ごめんなさい」が言えるかどうかであり、それが明記されているだけで好感は上がっていくばかりだ。
なにより驚くのが
思ったことを場を読まず口に出してしまうタイプほど、自分の否を認められない大人が多いということだ。
個人的な経験からの統計だが…
すくなくとも経験上、
相手の気持ちや経緯、状況も想像せず自分の見えている部分で判断し、それを正当とばかりに言ってくる奴ほど、結果それが間違っていても謝らない。
お前ら平光ひなたを見習え。
(見習うにもまだ登場もしていないが)
謝らない奴には何も言いたくなくなる。
言うだけ損するからだ。
そこに関連して
今日Twitterでも少し吐き出したが、耐えがたい出来事があった。
弊社は先方から直接、もしくは他の同業者から外注で仕事を請け負っているのだが、今回は後者。
その同業者側から外注で仕事をもらう際、宅急便でのやり取りとなるため色々と電話でやりとりをすることになる。その電話をかけてくる営業の中に、個人的に「とんでもなくきつい女性」がいる。
ここからはこのとんでもなくきつい女を
「A」とさせてもらおう。
昼、事務所で入力作業をしていると電話が鳴った。事務員さんは皆忙しそうにしていたので僕が電話を取った。Aからだった。
Aは兼ねてからネチネチとした口調で話す人で、「A側の仕事にミスがあった時」や「無理のある納期の仕事を弊社にお願いする時」にとても顕著である。
どうネチネチしているかというと「一言多い」のだ。
無理のある仕事をお願いする時、自分にミスがある時とはつまり弊社側が少し「え?マジかよ」と思ってしまう時であり、対応も少し強めにはなってしまう。そういう時、いつも返す刀よろしく
「まあこないだ、おたくもこういうミスありましたから気をつけてくださいね」
と言い放つ。
そもそも口調がいつも上から目線で
「お願いします」
ではなく
「お願いできませんか?」
と聞いてくる。
書いているだけでイライラしてきたが、こういった相手をイライラさせる才能があるババアは確かに存在する。僕はそういった点に敏感なので、こういうのに少し触れるだけで心が爛れて胸焼けがしてしまう。
そんなAからの電話に身構えた僕は、平静を装って電話に応えた
A「社長はいますか?」
社長は会社を空けていたが、保留して一旦他の事務員に指示を仰いだ。
どうやら弊社に無理な日数の仕事を出そうとしているらしく、一旦断って先方に日数を延ばすよう交渉してくれとお願いしていたらしいが、交渉に失敗したのかそのため電話してきたのだろう。
社長は基本この手の仕事を二つ返事で受けてしまうため、おそらく社長に直接頼もうとしているのがバレバレだった。
不在の旨伝えると
「担当の製作者に代わって欲しい」
と言い出した。
仕分けを行なっている営業や事務員だと断られるので、若い製作者に直談判で了承を得ようとしているのがバレバレだった。僕はさらにイライラし始めた。
「手が離せないようです。納期の件ですか?」
とやや苛立ちまじりに答えると
「そうです、先方に延ばすようお願いしたんですけど顧客と連絡がつかないみたいで、なんとかその日数でお願いできませんかね?」
とのこと
この時点で不可解だった。今回無理な日数で来る予定の仕事は二つと言っていた。二人とも連絡がつかないなんてことあるか?
正直、先方が怖くて交渉していないんじゃないか?そう思ってしまい苛立ちは高まった。
なにより「お願いできませんかね?」じゃねえよ、交渉失敗したのお前らだろなんだその態度
僕「そうは言われましても難しいです。」
A「なぜ担当の製作者に代われないんですか?」
僕「担当の製作者は部長の指示により仕事の振り分け量が決まっています。その部長が難しいと申し上げておりますので、やはり難しいです」
この時点で立派なクレーマーだった。
下手にお願いしてくれたらもう一度部長にかけあってもよかったが、このような態度ではその気も起きない。
するとAはとんでもないことを言ってきた
A「そんなこと言われましてもね、おたくもついこないだこんなミスをしていたじゃないですか。」
僕「それは申し訳ございませんでした。今後気をつけて製作するよう心がけます。」
A「そういう時ね、私たちが先方に謝っているんですよ?そんな先方にさらに「この日数ではできない」って言えっていうんですか?」
僕のハラワタはこの時点で煮えくり帰っていた。納期に無理があることと、これまでのミスは関係ない。あまつさえミスを減らしたいならなおさらそういったギリギリの仕事をさせるべきではない。
何よりそんなことは自分も営業で謝る側の立場のためそんなことは百も承知だ。そしてそれを作る側に言うべきではないことも百も承知だ。
家庭を顧みない父親がそれを咎められて「誰の稼ぎで飯を食っていると思っているんだ?」と言うような愚行だ。
そもそもこんな奴が交渉するからダメなんだろう。こいつが交渉したのでは相手を怒らせるだろうしな。早く自分の無能を詫びて懇願してこいよ。そう思った。
この時点では怒りを我慢し話を聞いていると
何やら代案を提案してきた。
A「ではこういうのはどうでしょう?おたくがやってくれないっていうなら仕方ないですから」
と言ってきた
僕はここで限界を迎えた。
こいつらは先方から仕事をもらって、弊社に製作してもらっているという意識がない。交渉できなかったことの申し訳なさもなく、あたかもこちらがただただごねているかのようなもの言い、「仕事を出してやってる」という奢りを感じた。
僕「ではその代案も踏まえて、再度部長に掛け合って折り返し連絡します…が、『うちがミスをしたんだからやれよ』というような頼み方はあんまりじゃないですか?今後改めてください」
A「そんな言い方した"つもり"ありませんけど!」
僕「はぁ?」
A「はぁ?ってなんですか!あんた名前は?製作者?」
僕「名前を言う」
A「ええ…あなた前にうちの会社にいましたよね?なら内部のこともわかってますよね?それがそんな言い方…!こっちはそんな"つもり"で言ってないのに!あなたこそ改めてください!」
嗚呼、この人は自分が言っていることが間違っていないと思っているんだ。
このように嫌味として伝わってしまっていることに反省もせず、開き直り、むしろこちらが悪いように仕向けている。
「怒らせてしまった」ではなく
「勝手に怒り始めた」と思われている。
そう思った瞬間こいつと会話するのは無理だと思った。
Aはこの後も自分は悪くない!お前の態度はなんだ!勝手な解釈で!こっちは長くおたくと付き合いしてきてるんですよ?無理にやれなんて言ってない!
と激昂し、話にならなくなった。
言った言ってないなら近いことは言ってるし、こちらにはそう聞こえてる。無理にとは言っていないがほぼそれに近い嫌味を言っている。長く付き合いしてるからと思い上がっているからそういう強気な嫌味が出るのもわかる。態度が悪いのはお前でそれに腹を立てているのはこっち。すべておかしくすべて論破可能。
しかしこの手の自分は間違っていないスタンスの老害は自分が咎められるとまくしたてて話にならなくなる。
そして僕も恥ずかしながら腹が立って冷静さを欠いていた。
僕はAの自己保身の呪文のような叫びをかき消すように黙って受話器を叩きつけた。
僕は確かに2年前までこの会社にいた。
この会社の営業が、一部の恩人を除いてはどれだけただ上の言いなりで、どれだけ作り手へのリスペクトに欠け、自分にダメージが少ないように製作者に無理を言ってくるかも知っていた。
そもそもお前の営業所のせいでどれだけ苦しんだか知っているのか?内部を知らないのはお前の方だ。
それに僕は融通をきかせていないのではなく、単純にこいつの態度に納得がいっていないだけで、会社そのものとか関係がない。
僕はこのあと反省した。
このような話の通じない文字通りのクソに本気になって怒ってしまった。恥ずかしかった。
この後部長に深くお願いして、なんとか休みを返上して間に合わせてくれることになった。
「内部のことわかってますよね??」
お前こそこの仕事をまかり通らせるために、1人の製作者が休みを返上することをわかっているのか?もうどうでもよかった。
僕は自分が熱くなってしまったこと自体に恥ずかしく反省していたので、なんとか間に合わせる旨伝えるためAに電話をかけた。
僕「先程はすみませんでした。熱くなって失礼な言動をしてしまいました。先程のお仕事、なんとか納期に間に合うようこちらで調整いたしました。今後また納期に無理がある場合、出来る限り先方にご交渉いただければと思います。よろしくお願いします。」
A「交渉しますが、どうしても無理な場合もありますのでその時はご連絡します。私もすみませんでした、た・だ・し…私はそんなつもりで言っておりませんから!お怒りになったかもしれませんが私はそんなつもりで言ってませんからね…。では今後ともよろしくお願いします。」
僕「すみませんでした。よろしくお願いします」
もう無理だと思った。
この人はこの期に及んで
「自分は悪くない。そんな"つもり"ではない」
と僕に悪のシールを全て貼り付けて去っていった。
今日一日ブルーだ。
僕は自分に貼られた悪のシールを剥がしながら、粘着が残った部分にため息をつき、舌打ちをしながら働いている。
つもり
って相手がどう受け取るかは含まれたいないよね。つまり「嫌味と思わず嫌味を吐き、それを嫌味と言われたら嫌味と受け取ったお前がおかしいと言う」ということだ。
この世には絡んではいけない人種がいるが
こういう人間と関わると何もいいことがない。
繊細な奴が馬鹿を見る。
繊細な奴が悪者にされる。
鈍感で自分勝手が幸せか
そう思ったら全てが嫌になった。
平光ひなたは素晴らしい。
相手のことを思いやれず迂闊なことを言ってしまうが、しっかりとそれを謝れる。
涙が出るほど素晴らしい。
そんな人間ばかりになればいい
そうすればAをはじめとした狭い村社会で見捨てられ、許されてきた自分勝手で思いやりのない老害など生まれない。
ヒーリングっど♡プリキュアを観てしっかりと自分の汚さを投影して反省して欲しい。
また、
長渕剛のように
「GOMEN...」
「ごめん」
と自分のダメさもフォーカスして欲しいです
老害さんガンバです。
僕はもう関わりたくないです
むいていない
向いていないと思うことがひとつある
ここ最近体調が悪い。一日中ではないが、どこかのタイミングで熱っぽく感じたり気怠さが異常に強い。なんとなく仕事にならない程ではないところが厄介だ。
世間ではもっぱら新型肺炎とマスク不足の話で持ちきりだ。そして同じように「ただマスクするだけじゃむしろダメ」というような認識も広まっていくことになる。
こうなってくると僕も気をつけることになるんだが、いざ気をつけるとなるとある程度徹底したくなる。
マスクの紐を持つよう心がけ、ドアノブやスマホ等触った時などアルコール消毒して、触った手で目鼻口を触らないようにして…などなどと色々ケアについて考えるが、ついマスクの表面をそのまま触ってしまったりする。何度やってもそうなってしまうのでそのたびに落胆するのだが、考えれば考えるほど深く深く考えてしまい
「この時にここを触ったからアウト」
けどここで手を洗うにはここを触らなきゃでここも汚いし、そもそもここも汚いのでは?
気づくと考えすぎてどこも触ることができなくなった僕は何もできなくなり、結局触ることになってしまいただただ落胆するばかり。
深い迷宮だった。これまでの人生で触ってきたものや、その後手を洗ったかどうかなどにまで思考は渡り「僕は不潔だ」と落胆してそのくせTwitterで「うんこ」と呟き、そこで清潔不潔のバランスを取っているかのように体調も込みで頭の中はごちゃごちゃと絡まっていった。
この時思った
たった数日で答えは出た。
向いていないと。
僕はそもそも考えだすとダメなタイプなので
小まめに変えて気にしすぎず、手洗いうがいをしっかりしようと。そう思った。
それより事務所で咳をすると
「おっ?コロナウイルスか?」
とか言ってくる年寄りがいることが問題で
そういう奴らは体調が悪くても出社することを美徳としており、また自分がそのような状態でも出勤したことを自慢してしまうタイプだ。感染する奴が弱いのだと、感染すら甘えだと。
僕がマスクの取り扱いに四苦八苦している中、無頓着な老害が幅を利かす。
インフルエンザでも出社したことを偉そうに語られると、
「出るのは勝手ですがその日僕は休みますね」
と言いたいところだが、その冗談と皮肉な意味が伝わらず「根性のない若者」とだけ映りそうだったのでやめた。
本当に老害が嫌いだ。
この冬を越えられるのか不安になった。
クソして寝る
癒しと清廉
僕はプリキュアが好きだ。
つい昨日「今年のプリキュア」こと
ヒーリングっど❤︎プリキュア
がスタートし、それを見た僕は
あまりに好きな感じだったのでブログを書くことにした。
プリキュアというよりも日曜朝の東映女子向けアニメが昔から好きで、それは家の冷蔵庫の麦茶のように当たり前に用意され、なんの考えもなくそれを享受していた。
そしてクラスでは「ニチアサ女子向けアニメ」を視聴していることはひた隠しにし、個の嗜みとしてそれはそこにあった。
高校生になり、こじらせが進むと気づけばぬるっと見たくなっていたニチアサ女子向けアニメ…この頃には「ニチアサ女子向けアニメ=プリキュア」になっていたが、これまで数年周期で番組が切り替わってきた僕ら世代で考えると、まさかプリキュア自体がこんなにも続くとは思いもしなかった。
その後アニメを見る頻度が増え、
アニメをたくさん摂取することそのものに熱くなってきた頃訪れる
「俺もはやプリキュア見ちゃってます」と言いたい紀
がやってきた。
当時一般的に「オタク」という言葉は深夜アニメを好んで見る層のイメージが強く、自分もまたそうだった。
例えばそういう同士の「どのアニメが面白い」だのの会話になった時プリキュアという作品の名が上がると「プリキュアも範疇に入れるか?」というやりとりが起こりやすかった。
つまり悲しい話知識や「イキり材料」として卑しい気持ちで再び戻ってきた所はあった。
人生に何度も訪れる、情報や知識のオバケになりそうになる時期の自分をぶん殴りたい。本当に。
さて、
長くなったがそんなクソな時期も経つつ、結果しっかりプリキュアという作品の魅力に熱くなり、見ることを続けてきた僕だが
2020年2月2日放送の「ヒーリングっど❤︎プリキュア」を観てとても感動したのでこのブログを書くことにした。
1話にして「花寺のどか」という主人公に心を掴まれ、癒され、心底応援したいと思った。
プリキュアの歴代の主人公は皆魅力的だ。しかし人見知りの強い僕にとって、登場した時点から強い好感を持てたヒロインは実は少ない。
プリキュアの主人公は基本的に正義感が強く好奇心旺盛。飛び抜けて明るいキャラクターが多い。さらに独特なキャッチフレーズを連呼する。もちろんそこに裏付けられたものや成長を見ていく中でほぼほぼ好きになっていくのだが、この初登場の時点での感情としては強い好感とは言えない。「主人公ってこうだよね」の範疇だ。
大人の視聴者にとって新しいプリキュアとは
愛着が強い前作が華々しいクライマックスで終了したロスと共にやってくる。つまりはすぐに切り替えるのに少しインターバルが必要なのだ。
しかし今回のプリキュアの主人公は新しく、それでいて懐かしさのあるキャラクターだった。
これまでも「ヒエラルキー上位者っぽくない主人公」は数人いて、ハートキャッチのつぼみやGO!プリンセスのはるかはそうだったしどちらも1話から応援したくなるヒロインだった。
今回の主人公である「花寺のどか」はスタートの時点から病弱であることを明かされる。しかしそこから立ち直り、「誰かの役に立ちたい」という思いからプリキュアになる。
ここ近年の人気アニメでいうところの「若女将は小学生」を思わせる「応援したくなるヒロイン」ともいえるし、名作シリーズや同じく東映の「明日のナージャ」などに見られる
逆境から学び、立ち向かう
か弱くも強いヒロイン像
そんな何かを背負ったヒロインの優しさに癒される作品だということが想像できる1話の時点で「ヒロインが今後どうなっていくのか?」
に考えが巡り、作品自体の流れや舞台装置が目につきづらくなったという印象。
ここ数年のプリキュアもどれもとても魅力的で楽しめたが、舞台装置や世界観から導入していく作品が多かった印象があるし、
強い人間力からすぐヒロインにフォーカスしていく作品っていうのがgo!プリンセスプリキュア以来だと感じているので、個人的にとてもとてもテンションが上がっている。
癒しと清廉さ、僕の疲弊した心に沁みて沁みて仕方なかった。
そして「平光ひなた」という
登場前から好きなことが確定している登場人物も控えているのでますます楽しみである。
今年1年も生きる希望がある。
頑張るのどかに癒されながら、
日曜日朝を楽しみに今年もがんばります。