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JOHNNYPARKというバンドでvo、たまにdjやります。現在は新潟在住

👅 〜カレー馬鹿舌脱却編〜

僕はカレーが好きだ。

もはやいまの時世にカレーとラーメンに関してはこう発言することすら恥ずかしさを覚えるのだが、実際カレーとラーメンだけでほぼほぼ生活が事足りるくらいに好きだ。

極論すれば自分で料理することも加えると現在はカレーの方にウェイトがあると思ってもいいかもしれない。

 

しかし僕は元々ここまでカレーに思い入れがあったわけではなかった。ラーメンはともかく自分にとってのカレーの立ち位置は明らかに今日までで大きい変化があったのだ。

 

カレーとの出会いに関して

ほとんどの人が自宅の夕食に出てくるカレー、もしくは給食がファーストインプレッションだと思う。無論僕も「おうちカレー」が最初の出会いだった。一般的な肉じゃがの工程の途中で水を入れルウを溶かし、カレーに変化させた形のごくごくシンプルなもので、肉とルウの種類が若干変わる程度のマイナーチェンジで数十年それが続いたが、それでも家の夕食メニューでもとりわけ好きなメニューだった。

 

しかしこの「おうちカレー」の立ち位置はそこからつい数年前までそこまで変化することはなかった。

 

僕の実家では外食でカレーを食べるということは基本なく、食べる機会があったとしてスキー場のフードコートや、ユースホステル等の宿泊施設で昼食に出てくるカレー程度だった。

大学に出てからはインドカレーやカレー屋さんのカレーも食べる機会が増えた。

 

どれも好きだったし、

どれも美味しかった。

美味しい時は

「これうんめ」

と方言混じりに声に出したものだ。

 

しかしここまでの美味い美味くないは

実のところ当時の僕の舌には全てマイナーチェンジの域くらいの変化しか感じておらず、

「おお、これ美味い!」

と発することはあっても、あくまでおうちカレーを軸にした多少の変化としてしか認識できていなかった。

 

ようは僕はカレーに関しては

特に馬鹿舌だったのだ。

 

しかしそんなカレー馬鹿舌だった僕も、

今ではカレーを食べて頷きながらああでもないこうでもないと講釈を垂れるようになった。

そうなったのは脱サラしてバンドメインにフリーターを3年やって、その後お茶の水にある専門学校に通い始めた時だった。

 

カレーに関してはかなり遅咲きだった。

 

通い始めた頃は周辺のラーメン屋に心奪われた。人生で初めてらーめん二郎が活動圏内に現れたのだ。これには心躍り、そこそこな頻度で足を運んだ。

周辺のラーメン屋さんもそこそこ行き尽くした頃、街を歩いているとカレー屋がやたらと目についた。御茶ノ水〜神保町にはたくさんのカレー屋さんがあり、食べログ3.7クラスの名店がひしめき合っているというのは恥ずかしながらその後調べて知った。

 

ある日一念発起し、

神保町でも歴史と知名度の高い3店舗に足を運ぶことにした。

 

ボンディ

スマトラカレー共栄堂

エチオピア

 

だった。

この3店舗へ行ってから僕の中のカレーの認識は180度変わってしまった。正直馬鹿みたいに美味かったし、何よりここにきて「味の違い」みたいなものを過敏に感じた。

急速にカレーの舌が肥えていく音がした。

 

まずはボンディに足を運んだ

一見定石通りの欧風カレーなのに、

フルーティでスパイシーで

初めて食べた時には

ミスター味っ子味皇様のように

「うー!まー!いー!ぞぉぉぉぉ!」

と言ってしまうくらい明瞭に美味かった。

店内にはたくさんの味皇が点在した。

 

エチオピアはとにかくスパイシーだった。クローヴが効いていて、ほぼスパイスによる風味のみで味が薄いため、卓上の塩で自分で味を調整する。スパイスの味や良さというのはここで知った。

何よりエチオピアは専門学校から1番近く、専門学校が終わった時間でも営業しており、サラリーマンばかりでカウンターがそこそこ空いているのでボロ雑巾のように疲れた単身三十路学生にはオアシスだった。

 

そしてスマトラカレー共栄堂だ。

ここはホールのおばさんの案内がとにかくスムーズで、相席などを駆使してたくさんの単身男性客を捌いていく。提供も恐ろしいほど速く、店舗滞在時間は本当15分くらいか…1人で行って無駄にゆっくり過ごした記憶が無い。

 

それもさることながら、カレーを初めて食べた時は独特の苦味に驚いた。想像とは少し違う独特なカレー。

しかしその後、これが中毒みたいになって今では1番好きなカレーだったりする。

 

それから家でもいろんな店のカレーの再現を試すようになった。

完全にカレーにハマったし、神保町の名店にも多数足を運んだ。

 

 

新潟に帰ると丁度そのタイミングで

新潟には大阪から来たスパイスカレーというものが流行し始めていた。

最初はインスタ女子向けの洒落臭いカレーだと思っていたが、行ってみて驚いた。

まだまだカレーには無限の可能性があるのかと思った。

 

より家でカレーを作る機会が増えた。

 

 

そんなわけで気づいた。

家にスパイスと玉ねぎだけ常備していれば、常にどんな時もカレー作れるのでは?

そして実際にこの三ヶ日も正月に余った食材でカレー味のパスタを作ったりして、僕は最強の環境を作り上げてしまった。

 

僕はカレーに守られた日常を手にした。

 

かつて舌が目覚める前に行ったカレー屋さんにも再訪したいと思っている。

週末に東京へ行ったら幡ヶ谷のあの、

上着を届けてくれたカレー屋さんにまた行きたいと思う。