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JOHNNYPARKというバンドでvo、たまにdjやります。現在は新潟在住

ナンバーガールに囲まれて

ナンバーガールのライブを動画で観た。

 

ここ1年のナンバーガール再結成の諸々を見てきて、こんなにたくさんの人がナンバーガールを好きなんだな…と改めて思うと共に、自分にも大きい意味を感じさせてくれた。

僕にとってのナンバーガールの位置づけは特殊なものだと思っていて、今回はその微妙なニュアンスを描けたらと思う。

 

その日は休日。朝はプリキュアに癒され、昼は前回のブログの通りクソ客に憤慨し、夜は部屋で奥さんと見たいテレビ番組もなく録画したバラエティ番組を見ていた。番組そのものを観ているというより、テレビをBGMにまどろんでいるような状況だ。そんな中Twitterをふと見るとナンバーガールYouTubeで無観客ライブを配信しているとのこと。

 

僕はナンバーガールが好きだ。尊敬するバンドであり影響もたくさん受けた。しかし動向を常に見張るほど熱狂的でもない。奥さんがどう思うかわからなかったが、せっかくだし…と

「配信で観たいライブやってるみたいなんだけど、観てもいいかな…?」

 

と聞き、自分の生きづらい性格上

情報に遅れていることへの恥ずかしい気持ちや、ここで遅れて実況しても虚しいかもな…という謎の劣等感も感じつつ

 

そんなことよりここ最近の鬱屈とした気持ちがどこか癒されるかもしれない。

そう思って見ることにした。

 

その数分後、僕は冷蔵庫へビールを取りに行くこととなった。

 

世の中はヘイトで溢れている。

それに輪をかけてここ最近

世の中はヘイトで埋め尽くされている。

嫌だし気分も悪くなるがヘイトをついつい見てしまう。

僕はバンドにおいてもそうだが「世の中へのヘイトと被害者感情と結果冷静になった時の自虐」で表現を行ってきた人間だ。

 

ヘイトが板についてしまっている。

 

手遅れなのだ。そんな悲しさもある。

 

しかし今回

僕の眼にこのライブでのナンバーガール

世間の「感染」「混乱」「人間の汚さ」全てと切り離された所にある存在に見えた。

それは敢えて口にせず皆んなを楽しませようとするバラエティやエンターテインメントとはまた違う。本当に政府からの要請で無観客ライブとなったのか、もはや不思議なくらいに自然とそこにあった。

 

そして何より再結成してから僕の友人たちは皆ライブへ足を運んでいたが、新潟在住で新潟公演のチケットも逃した僕からするとこれが初見となる。そんな自分からしたらナンバーガールがライブをやっているということがもはや事件なのにも関わらず、不思議なほど自然とそこにあった。

 

右手に持ったお酒の缶は空になっていた。

 

僕がナンバーガールと出会ったのは2002年。高校一年生、まだサブカル趣味に興味を持ち始めてから短い頃。

その夏に放送されたドラマ

「私立探偵濱マイク

が当時放送されたテレビドラマの中ではとびっきりサブカル臭い作品で、1話完結で毎回監督とゲストが変わるオムニバス形式で、僕はこの世界観に憧れまくった記憶がある。

 

そんなドラマの5話、須永秀明監督回で

ナンバーガールのライブシーンが流れる。

曲はNum-Ami-Dabutz。

J-pop→青春パンク→オルタナティブロック

と変遷してきた当時の僕の目には

当時僕が聴いてきたどのバンドよりも地味で、華がなくて、危険な雰囲気がした。

平たく言えば怖かった。

 

なんとなく気になって(というかあのドラマの世界観の理解者でいたくて)、ネットでナンバーガールを調べてみると数々の狂信者が存在していた。これも怖かった。

 

せっかくなのでTSUTAYAでアルバムを借りることにした。School Girl Distortional Addict当時の無垢な僕からするとジャケも怖かった。

 

当時無垢だった僕には色々な音楽を掘り下げる中で先入観で怖かったのが鳥肌実ゆらゆら帝国ナンバーガール頭脳警察だ。

 

その後僕はたくさんのロックを聴き、この「怖さ」が「かっこよさ」へ変換されていった。sonic youthPixiesにハマってそこからまたナンバーガールへと繋がり、ナンバーガールを聴き再度衝撃を受けることになる。

 

そうなった頃にナンバーガールは解散。

ライブを見ることができていたらまた変わっただろうか…僕はむしろその後のザゼンボーイズの新しさに感化され、そちらをより聴くようになってしまう。

 

僕はこの時点でナンバーガール

かっこいいと思いつつもそこまで好きではなかった僕だったが

 

ここからの人生を僕はナンバーガール愛する人達に囲まれて過ごすこととなる。

 

大学生になると僕は軽音楽部へ入部。

持ち前のロック知識で先輩とすぐに打ち解け、ヒエラルキーの階段を登っていった。

popな日本語ロック好きを下に見る最悪のイキり野郎だった自分を今でも思い出したくもないほど軽蔑している。

 

その当時の部長やその周辺の先輩はナンバーガールをこよなく愛していた。

先輩の家へ遊びにいくと、「記録映像」やライブ映像、須永監督の「けものがれ、俺らの猿と」を見せてくれた。僕がまだ聴いていなかったアルバムなどを貸してくれた。

 

最も好きな音楽は他にあったが

ナンバーガールの良さを改めて刷り込まれて行った。しかし、その先輩達の影響もありこの部活においてナンバーガールを好きな人は多かった。いわばベタだ。

僕はベタさゆえにナンバーガールを好きだしよく知っているが、フェイバリットには積極的に挙げずにはたまた自分がコピーバンドなどをすることもなく、なんとも不思議な付き合いだった。

 

その後もなぜかナンバーガールは僕を付き纏った。

 

就職した店舗の上司が北海道出身で、飲んだ時

「俺ナンバーガール大好きでさ、ラストのペニーレインも行ったんだよお!」

勿論盛り上がった。

 

その後ぼくはJOHNNYPARKをスタートするが、自分たちのジャンルもあってかホームのライブハウスの特質もあってか、出会うバンドのほとんどがナンバーガールを深く愛していた。

 

結果オタク繋がりで出会った人達もナンバーガールを好きだし、僕はナンバーガール好きと常に繋がっていた。

 

高校時代にはナンバーガールの話題なんて一切なかった友人も結婚式のbgmでkimonosを流したら「おっ、This is 向井秀徳」と言ってくる始末。

 

結果僕の人生にナンバーガールが無かったとしても軽音楽部に入っていたし、バンドをやっていたと思うが、どう足掻いてもナンバーガールと出会っていたしナンバーガールを愛していたと思う。それくらい僕はナンバーガール好きに囲まれてきた。

 

僕は今でもバンドとしてのナンバーガールの大ファンではない。しかしそのサウンドや世界観は尊敬しているし、唯一無二だと思う。

 

the velvet undergroundのように

長く愛されながらもアングラ感が消えず、

ルーリードのように「危険なニオイ」を未だに放ち続ける。

USインディ輸入のサウンド

UKポストパンク輸入のリフ、

エレカシeastern youthなどが持つ叫び

全てを世界観に押し込んでさらにオリジナルのワードが詰め込まれた最高のバンドだと思う。

 

あの配信を見て

ナンバーガールがあの昔映像を見たそれよりもタイトに明確にサウンドを鳴らして、聴きたかったあの曲もこの曲も聴きながら、終わった後は外で無音でタバコを吸いながら

 

今この時ばかり、

この日本の混乱の枠外へ連れて行ってくれたことに感謝しかない。

 

僕はそんなふうに思いながら

クソして寝るのだった。