三ツ星カラーズすきすきおじさん論
みなさんおつカラーズ。すがゆうです。
歯科技工士国家試験を一週間後に控え、疲れ切った精神の中、勉強の合間にこのようなブログを書いております。
このブログは私すがゆうが思ったこと、気になっていること、告知などさまざまな用途で書くフリーダムなブログではありますが
今回も恒例となっている 論文形式 でお送りします。
※論文形式…すがゆうが「はてなブログ」の見出しシステムを使い、あたかも論文のようにくだらないことを訳知り顔で長々と語るタイプのブログ。今後このブログの屋台骨となる可能性大
すがゆう、カラーズを知る
バンドの締めくくりや試験づくしの年末から、激動のままに過ぎた2017年。2018年迎えた時点では「もうアニメ始まるのかよ…」と思う程に新しい情報を拒絶していた私も、気づけば一定の作品に熱いコメントをするくらいに今期アニメが板に付いたりしてきた。
1月からスタートしているアニメは相変わらずたくさんある。勿論多くは視聴できていない現状だが、そんな中でも今期も楽しいアニメが多く、享受する嬉しさを感じる毎日だ。すがゆうが視聴している作品など微々たるものなので語れるような権利も無いが、それでも圧倒的に私の心を動かした作品が現れたので筆をとった次第である。
さあて
三ツ星カラーズについて話すぞ…
それはずいぶん前の話だったか…
昨年にツイッターか何かで「三ツ星カラーズが2018年アニメ化」という記事を見かけた。その時に見た絵が 苺ましまろ に類似していたので、1発で気になってググった覚えがある。
ご存知の通り苺ましまろは
本能に染み込んでくるタイプの作品 なので、三ツ星カラーズにも同様な期待をすることになる。
調べてみると上野が舞台のアニメとのことで、これには私もかなり高揚を禁じ得なかった。なぜならすがゆうは墨田区に住んでおり、荒川区で仕事をしている。営業先は上野が多い。スニーカーは上野で買うし、何かと行く機会も多い。
さすがに「上野にゆかりが深い」というほどでもないが、リアルのアメ横を知っている人がいたとしたら考えて欲しい。
ここを3人の可愛い少女が走り回るのを想像できるだろうか?
リアルのアメ横と言えば、多国籍な飲食店が軒を連ね、下水というかそういったスラム臭を常に漂わせており、爆買い外国人でいつもごった返しているお世辞にも綺麗な商店街とは言えない場所というイメージだ。
そんな上野アメ横を元気に走り回るカラーズの無邪気な姿を想像しただけで、どんなコントラストを見られるのか?私の楽しみな気持ちはかなり高まり、放送が楽しみで仕方なかった。
日常系アニメにおけるカラーズ
そしてついに始まった三ツ星カラーズ。今までのすがゆうヒストリーからすると事前に注目し過ぎたタイトルは始まると個人的に盛り上がらないことが多いのだが(勝手にハードルを上げすぎるため) 、三ツ星カラーズはそういった心配をよそに私の心を鷲掴みにしていった。
三ツ星カラーズそのものの概要については、
面倒くさ…私が語るに及ばないので公式サイトを是非ご覧下さい。
見ての通り三ツ星カラーズは日常系アニメだ。
日常系アニメという部類は古くは さざえさん から始まり、現代はその手法をとりながら可愛い女の子キャラ達の起伏の少ない日常的な姿を見て癒される。という需要から常にあの手この手で試行錯誤されてきた。
すがゆう的な観点からいうと最近の日常系アニメもしくは日常系アニメライクな美少女アニメに関しては飽和状態を感じていて、あの手この手で新しい観点を盛り込もうとしているのはわかるんだけど、なんとなくバズりそうな原作をひたすらアニメ化しているから、もはや「こういうのがウケる」って思って作っているんだな…という所ばかりが浮き出てしまって正直没入できないし癒されない。辟易していた。
そんな三ツ星カラーズは現代日常系アニメの「尊さの押売り」産業の中で細かい部分で私すがゆうを惹き込んで行った。
途中で一度iPhoneの画面を閉じ、少し目をつぶり、また開き、感情をTwitterに吐露し、また続きを見た。山手線の車内で。
なぜこんなに惹き込まれるのか??
いささか気になり一度整理することにした。
すがゆう内カラーズ論争
すがゆうの中のすがゆう達による討論は熾烈を極めた。それぞれにそれぞれの推しがあり、違った癖をぶつけ合った。斉藤を強く推す者もいた。アニメの好きな点を整理するということは、自分の中で討論会を開くようなものだと思ったが最終的には かわいい に落ち着いてしまうのは明白だった。斉藤を強く推しているすがゆうもいた。
と、そんなわけで三ツ星カラーズを見ていて
ここが好きな所だな と思ったところを挙げていきます。
① 「性格」を超えた過度なキャラ付けをしない
わかりやすく言えば琴葉はいつもゲームばかりしていしていて、低めのトーンで冷めたことを言う現代っ子というキャラがある。しかしそんなゲーム好き⇨男子っぽい趣味⇨武器や戦闘に影響を受けやすい⇨けん玉を笑顔ブンブン振り回す という自然な繋がりがあることでキャラに沿っての言動というより、性格、趣味、影響からの自然な流れに成立しているように感じられる。すがゆう的には「男子的趣味+ガーリィな服装」から琴葉には兄と姉がいるのでは?という仮説を立てている。
② 「大人」を上手に描くアニメは名作論
すがゆうは大人が子供のために粋な行動をするシーンに弱い。特にこの作品だと雑貨屋のオヤジがそれに入るわけだけど、オヤジが粋な計らいでカラーズ達を喜ばせるのも、唯一同じ目線で相手してくれる大人の斉藤…斉藤を強く推すすがゆうの部分が垣間見えた一瞬だった。
三ツ星カラーズで「泣けるでしょう?」みたいなお涙頂戴演出を見ることは少ないし、おもくそ羨ましい恋愛とかしているわけでもなく、徹底的に庶民の範囲内で楽しんでいる。そんな小学生の一喜一憂の毎日を懐かしく思い、オヤジや斉藤の目で改めてカラーズを見てなんだか涙が出てくるのだ…
③ 適度なギャグセンス
三ツ星カラーズのギャグセンスは「小学生だから」というバリケードで守られているが、逆に小学生らしさを損なわずに面白さを引き出す小技が多く無理やりギャグをぶっこんできた感を薄れさせている。特にギャグフレーズを言うシーンで小細工入れずにBGMを無音にするというシンプルな手法を中心にしているところが好きで、お決まりのワードややりとりも多出ししすぎず、つっこみも過度でなくとても安心感がある。ゆいちゃんが痛い目見ているようで、毎回毎回伏線としてフリを出しているんだよな…ゆいちゃんがテーマを提供してさっちゃんと琴葉でふくらまして、ゆいちゃんのすべりオチで締める…綺麗すぎるのに我に返らせない。とてもすごいと思う。
推しを決める
カラーズの中での推しを決める上で、すがゆう中の斉藤を強く推しているすがゆうとの対立は避けて通ることができない。しかし多勢に無勢。すがゆう内決議において多数の票を得て可決された。
すがゆうは さっちゃん が好きであると。
私は兼ねてからイメージカラーが黄色、オレンジのキャラクターを好きになる確率が高い。元気で粗暴な程女の子らしさとの対比を感じられ、思慮深さよりも直感的な部分に惚れることが多い。そもそもこれ系のキャラの見た目がとても好きだ。しかし、ことさっちゃんに対してはそれらの理由とはまた別の部分で思い入れが生まれつつあった。
それは第3話。
オヤジからの粋なクイズの回答を探すため、上野の地下食品街へと初めて足を踏み入れる回がある。
小学生にとって、地下街とは滅茶苦茶テンションの上がるファクターであり、私もまた地下街に強い憧れと妄想を持っていた。
カラーズの3人は恐怖と好奇心が混ざり合う中この地下街で探し物をするのだが、さっちゃんは探し物のことは忘れてしまったかのように、鮮魚や肉屋の店主に向かって「うんこはあるか?」と聞いて回るのだった。
食品を売るお店で排泄物の名を叫ばれては営業妨害極りない。さらにそれを発するのが女の子とあっては見過ごすことはできない。店主はこぞって注意した。しかしそれに対してさっちゃんは
「なぜだ?その肉も、あの魚も食べるためのものだろう?食べてお腹に入ったら、それはうんこになる。」
(少々言い換えてますが意味は同じです)
行きつく先はうんこだけだ
この言葉と熱意に押され、どの店主も返す言葉を失ってしまうこととなる。
それを見た私は雷に打たれたような気持ちになった。
行きつく先はうんこだけだ
さっちゃんは小学生にして、般若心経の色即是空にも似た説法を解いてみせた。
そのサイクルは「繰り返される諸行無常論」にも受け取れた。
さっちゃんに強いシンパシーが湧き上がった。なぜなら私もまた、うんこにひとつ思うところがあり、よく発言するからである(31歳男性)
色即是空
私はこう見えてお笑いを見るのがなかなか好きだ。短時間の尺の中で山を作りその範囲で人を惹きつけ、笑わせるネタを書く。そしてそんな人達のトークが何より好きだった。IQの高い掛け合いを見せるコンビや、文化論的に尊敬する方のラジオを聞いているとその内容によく出てくるワードがあった。
「うんこ」だ。
何故か知能的なネタをやる人のラジオほど、うんこというワードがよく出現するイメージがあった。そんなラジオをたくさん聞く中で、うんこというワードの可能性について深く考えるようになった。
うんこというワードは小学生が口に出して笑うワードで、低レベルな笑い というイメージが強い。しかしなぜこんなにも笑えるのか?
私はうんこと小一時間向き合い、考えた。
営業中の山手線車内。勉強の合間。私はうんこについて思考を巡らせた。
結果、個人的見解としては真面目で良識を持ちつつ少しふざけた大人が、それで笑わせるのとは別に発するうんこというワードに行き着くのだ。
私は、うんこというものを面白く扱うファクターとして
知能を持つ大人が敢えて行きつくうんこの面白さの虜になった。
それはもはや排便そのものすらも意味せず、
いい大人が何をまじめに考えたのちにうんこって
ほかに思いつかなかったのか?というようなつっこみもいただける。
唯一品位は損なうが、その対価として最もわかりやすく笑いを頂ける。
以前に千鳥というお笑いコンビの大吾さんが
「うんこは世界一面白い。名前も面白い。見た目も面白い。においも面白い。最強だ。だからこそ芸人がうんこって言ったらそれは最終手段なんだ」
とまじめにおっしゃっており、正直引いた。
いや、嘘だ。引いたりすることは無い。私はそれをラジオで聞いた時もまた、
「なるほど…うんこにはまだ大きい可能性がある・・・」
とさえ考えた。
そして私は思った。
結果不要なものとして排出されるうんこは水に流されてしまうが、
そのうんこそのものが笑いの種となり、老若男女問わず普遍的に通じる笑いの要素として、絶えず世代間を循環している…
とどのつまり 食→糞→笑→食→糞→笑 の連鎖が続く限り
その因縁の上で 色即是空 なのだ。
私は、はたまたさっちゃんはその理論にたどりついた。
言うなれば私はさっちゃんであり、うんこだ。
むすびに
今日日うんこというワードで笑いを狙う者は多くいるだろう。
勿論私もその一人だ。しかしどのタイミング、どの場面で
うんこ ということが一番の効果を生めるのか?
はたまたうんこというものは本当に幼少期の戯言に収めてしまってもいいのか
我々は一度考え、それからまた動き出してもいいのかもしれない。
クリティカルヒットのような一番のここぞでうんこと言えた時
我々はまた一つ、真理にたどり着けるかもしれない。
Fin