ダサくてもやる
今から15年前
僕の住んでいた新潟県で言えばインターネットの普及も今ほどではなかった時代の話だ。
インターネットという膨大なツールはまだ世間に持て余され、有象無象の無意味なホームページが大量に作られた時代でもあった。
動画サイトはあれど、YouTubeほどのプラットフォームも無く、Flashのシュールなパロディ動画なんかが一部のニッチなオタクにのみ愛されていたりした時代。
新潟という地域で言えば
インターネット機能付き携帯電話は1人一台持っていてもそこまでインターネットは活用できておらず、PCも家に無い。あっても個人用のPCは無いので使い方もイマイチわからない。というような同級生も少なくなかった。
そんな時代
今ならクラスのグループラインとかあるのかな
あったとしたらとても入りたいとは思えないけれども、僕はクラスからハブられる度胸も無いスクールカースト低すぎず高すぎずの中途半端人間だったので、きっと入っていたんだろうか。
しかしありがたいことにその時代にそんなものは存在しない。その代わりと言っては時代の順序がおかしいが、先述の通り有象無象のホームページが量産されていた時代、例によってこんなことをする輩がいた。
ある日の昼休み、そこそこ仲の良いメンバーにいたクラスの中の上くらいのカーストの男子Bが
「このグループのホームページを作ってみた」
と言うのだ。
そのホームページというのが
今思えばなんのために作られたのかは不明だがBをはじめグループの仲間たちは
「すげえ!面白そう!」
と沸き立った。
沸き立ったのはよかったが、そのグループ内で特に趣味が合い仲の良かった友人Aと私は
「本当に大丈夫か不安」
と、一歩引いて見ていた。
聞いてみるとそのホームページはBBSやチャットルームがあるくらいの、催しの無いものだった。会話に参加しない者からしたら立ち寄る理由も無いような場所だった。
グループ内のホームページといいつつクラス全員アクセス可能で、できたらそこからクラス全体を巻き込んで行きたいというような雰囲気もあった。
その日の放課後Aと私で油を売りつつ話をしてみると
「ブログやコラムなんかをやるのもいいな…」
みたいな話になった。
そこまで乗り気じゃ無かった部分も最初はあったが、人とは違う趣味を持っているという自負と承認欲求に背中を押され、さらには痛い「青春ムード」という強い追い風にも煽られ
Aとの話合いの結果
ブログ(僕がメインでたまに数名で交代)
コラム(僕がロックの名盤を紹介する、ようはブログ2)
というものをやることにした。
それが僕がブログを通して文章を書くようになった最初の出来事だった。
それから大学へ進学した頃には
誰でも簡単にブログサイトを使ってブログを開設できるようになっており、たまたま出会った部活のメンバーの中にもブログを書いている人がいたりするくらいだった。
僕は僕で承認欲求の権化だったので
その時代時代で影響された文体を用いては
「どうだ!」
みたいな痛いブログを展開し続けた。
基本的に飽きっぽい僕だが、こればかりはなぜか6〜7年続いていた。
そして大学を卒業しバンド活動を始めてからも、やはりバンドの宣伝の意味も込めてブログを書き続けた。
しかし
Twitterが現れてからのことだ、その機会はめっきり減ってしまった。
それはそうだ。
より生の声を、その場その場で表現できて、その都度レスポンスがあり、発想やアイデアを文章にある「ぽさ」でラッピングせずにズバーン!出してパッケージングできる。
とても便利だった。
僕はブログを書くことをやめた。
それから何年か経った。
それでも精魂込めてたまにブログをupした。
なぜならTwitterは好きだが自分には向いていない部分もあり、望んだように使いこなせていないと思えた。全世界に向けて発信できるような発想力や配慮が自分に無いと気付いてしまったからだ。
短文大喜利が苦手だった。
才能もないし、下手だった。
そこまで真面目にTwitterについて考えるか?
とも思わなくもないが、性分がそうさせた
本当に本当に
学生時代にスマホが無くて良かったと思う。
先述のブログよりも痛い動画などがインターネットの海に流されていた可能性は高い。
ブログに関しては
精魂込めて書いた後、
元々それっぽい文章を書くことだけは自信があったので、書くときは結構頑張って書いたし、そこそこのレスポンスもあった。
「文章面白いっすね!」
「また待ってます」
嬉しかった。
しかしそのクオリティのものを連発するほどの熱意が持てなかった。
自分に才能は無くても、仲のいい身内でインスタントに盛り上がれるTwitterの方が数倍気楽なのは確かだからだ。
その考えの浮き沈みから
僕はブログをたまーに書いて
そのたびにドッと精神力を消費し、
その後またしばらく書かなくなり、
また少ししたら承認欲求から
出戻りする
クソダサブロガーだった。
誰のためでもないはずなのに
読者少ないと凹み
誰のためでもないはずなのに
「こんなの誰が興味あんだ?」
と自問自答しては書くのを止める日々
そんな中
この一年で大きく変わったことがある
東京を離れて1年
バンド活動も停滞
DJ活動も年数本
アニメもあまり見れない
つまり
Twitterでの僕のメインタームが失われつつあるということだ。
さらに仲の良かった界隈も
みんな会う機会があれば相変わらず最高に楽しいが、環境が変わると温度差が生まれ、共通の話題も減る。何か強い発言を展開するにも勇気がいるようになるし、何よりそういうことにひたすら卑屈になる。
特有のやりとり、特有の言い回し、共通言語
性格上そういう時進んで蚊帳の外へと出てしまうので
俯瞰すぎて
「寒…」
とか思ってしまう程になる
とはいえそんなこと思ってもツイートするべきではない。だって何も悪くないのに気を悪くするようなこと言う必要は断じてない。
なにより僕は地元にちゃんとした友達が非常に少ない。これが一番卑屈になる要因だったりする。
そうなってくると、Twitterで発言したいようなこともほとんど無くなってくる。
日常の些細なこと、
美味かった料理、テレビ全般、奥さんが好きで見る機会がより増えたお笑い番組、奥さんが好きで見る機会が増えたディズニー映画、歌番組、昔から聴いているラジオのこととか
わざわざTwitterに書くのもな…
なんていつも思ってしまう。
そんなくすぶっている時、
またブログやってみようかな
と思い返す出来事があった。
ここまで勢いで結構書き連ねてしまったので
それはまた数日後にでも書こうと思うが
日常の些細なこと、
美味かった料理、テレビ全般、奥さんが好きで見る機会がより増えたお笑い番組、奥さんが好きで見る機会が増えたディズニー映画、歌番組、昔から聴いているラジオのこととか
あれこれ続かなくて
今更それについて書こうというのは
自分の価値観ではダサいって今でも思う。
もう文字のサイズとか使って見やすくしたり、分かりやすさやキャッチーさのために画像添えるのもめんどくさい
ただただ
「下町サブカル青年が結婚してからすっかり所帯染みて、今じゃこんなこと考えてます」
みたいなのを、少しは面白く書けたらな
なんて思う
どうせ続くかわからないから期待しないで欲しい。
とりあえずまたやってみます