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JOHNNYPARKというバンドでvo、たまにdjやります。現在は新潟在住

エレクトロニカについて

最近YouTubeのおすすめ欄がカオティックになってきた。あれって僕の趣味を理解してサッと好きそうな動画を紹介してくれるシステムかと思っていたんだが、「あー。これの関連動画はいらないんだがな…」と思うようなものも差し込まれてくるのでかなり参っている。

 

 

もう1週間も前のことになるが

東京に行っていた2日目、信頼する後輩が主催するDJイベントに出演してきた。

そのDJイベントというのが

エレクトロニカ

を中心に流すという趣旨のイベントだった。

 

エレクトロニカというジャンルはかなり説明に困るもので

ロックで言えばオルタナティブ

くらい掴みどころがない。

 

なんとなくのガイドラインはあるが、

iTunesエレクトロニカのプレイリストを開くとエレクトロニカ好きな人たちが聴くような楽曲は無かったりする。

 

それなのに今回のイベントに集まったDJ達にはある程度の共通認識があった。

イベントに出演したDJ達は僕も含めて多岐にわたる手法や世界観を持ちながら、ある程度のラインで

「これこれ!これが聴きたかったんだよ」

という瞬間をもたらし、そのたびに

 

「よしエレクトロニカ好きにとってこの曲はアンセムと言ってもいいんだな…」

と安心したりそれが外れたりと発見も多く

何よりソファに座ってひたすらに

 

「なんの曲かはおいておいて気持ちいい」

 

それが許される空間

「何の曲がかかるか」を取り沙汰されがちな現場とは切り離された、しかしラウンジ過ぎない丁度いい異物感。最高でしかない。

 

しっかりとこれだ!という時にはフロアに人が集まり、エレクトロニカのなんたるかを共感し合う。

 

ただ逆を言えば、間口が広いくせしてエレクトロニカ好きにはある程度の踏み絵が存在するとも言える。

それでも楽曲単位で何をエレクトロニカとするかはリスナー次第でもあり、僕にもそれは確かに存在する。

 

 

僕がエレクトロニカという言葉と出会ったのは高校生の頃だった。

RadioheadのCDのライナーノーツに

エレクトロニカも取り入れた実験作」

という言葉を見つけ、そこで知った。

 

僕は中学生までビートマニアに没頭していたので、クラブミュージックのジャンルに関してはなんとなく知っていたけれどエレクトロニカというジャンルには聴き馴染みがなかったのを覚えている。

 

そこでなんとなく

「踊るための音楽ではなさそうだ」

と感じ、さらには「実験」というワードに引っ張られてとてもアバンギャルドなものだという印象を勝手に持ち、「怖い…」と思い当時近寄ることをしなかった

 

全く同じ理由で最初ゆらゆら帝国を怖がっていてライブ映像を見るまで聴くことを恐れていた。

また、実はこの頃ムームフジロック で見ていたのだが、それもまたエレクトロニカとしてではなくロックとして好きだった。

 

その後何年も経ち

アパレル雑貨の販売をしていた頃。

副店長だった僕は好きに店内のBGMを決められる立場にあった。耳障りが悪くない程度のロック楽曲を流し、たまに美容室で流れるハウスも流すようになった。

 

そんな折、遅番で僕が出勤すると音楽好きなアルバイトの後輩が選曲して店内BGMを流していた。それこそが今認識するエレクトロニカだった。当時僕が愛好していたUSインディやポストロックの雰囲気もありながら、しかしながら電子音を軸とした音楽だった。

 

僕は恥も外聞もなく、後輩のiPadの音源が欲しいと懇願し、それからというものエレクトロニカ(当時はそれがエレクトロニカだとは気づいていない)を好んで聴くようになったのだった。

 

ほどなくして自分でも同じような音楽を掘っていくことに熱心になる。そうするとそれがエレクトロニカであることがわかった。

Telefon Tel AvivRei Harakami、Opiate

とにかく好きだった…

 

僕の過去と現在のエレクトロニカがここでやっと交わった。

 

僕はエレクトロニカというジャンルに

多方面から近づいては触らず、なんなら少し触っていながらそれに気づかずにいたのだ。

 

のめりこめばこむほど

多岐のエレクトロニカに手を出し

1人でいる時は、エレクトロニカやミニマルなインディミュージックばかりを聴くようになった。

 

外堀から外堀からエレクトロニカを知った自分としてエレクトロニカ電子音楽だけどダンスミュージックではない、なんとも掴みどころのない音楽で、そこもまた愛せる。

 

エレクトロニカは自分の歴史の中でもとても異色な入り方をしたジャンルで、まさかオタク繋がりからエレクトロニカを流せる日がくるなんて…と感慨深い気持ち。

 

また機会あったら頑張ります

 

 

 

ただいま東京

僕は新潟県で生まれ、高校生までは新潟で過ごした。その後大学へ通うために神奈川県茅ケ崎へ越し、卒業後は東京へと移住していった。

 

高校時代に大きな趣味嗜好の下地はできていたが気づけば12年ほど神奈川~東京に住んでいたし、正直そこで受けたイメージや経験が大きいので…

気づいたら「地元愛」のようなものが欠如していった。

 

勿論新潟の良いところは知っている。

ごはんも美味い。新潟の酒も好きだ。

しかし「地元愛」は無い。

 

友達が少ないということもあるが、自然も好きだし繊細で他人からストレスを受けやすい僕としては電車よりも車移動が断然好きだ。

たぶん僕は「ムラ」が嫌いなのだ。

 

地方の、それも実家となればある程度のしがらみが存在する。温かみや縁という名の侵害がある。

 

僕は都会の娯楽にはまあ住むほどでは無いかと思ってはいるが、

「地方の開放的な自然の中のムラにある窮屈さ」

 

この不条理から「地元最高!」にヘイトが沸いてしまう。東京はドライかもしれないが、その分自分で趣味の合う世界を見つけられたりと自分で選べるので、その点でとても良い。

あとラーメンとカレーが美味い。

 

それか地方都市の絶妙な都会と田舎の中間みたいなところに住みたい。

 

そんな思いが強かったせいか

今回久しぶりに仲間たちと酒を飲んだり、馬鹿話に花を咲かせるのも今まで以上に楽しく感じた。

 

去年くらいまでは楽しそうなみんなに劣等感や疎外感ばかり感じていたんだが、ここ最近どうでもよくなってただただ幸せだったりする。

 

新潟から発信できるものも少なく、そこまで極めるほどのモチベーションも無いのだが、何かに繋がればと思いDJも続けている。キャンプもそうだし、このブログもそうかもしれない。

だからこそこうして機会が生まれてまたみんなとわいわいできる。これはただ東京へ行くよりも自分を納得させられる。

 

そんな部分をモチベーションに今日も生きています。

 

 

そんなわけで久しぶりの東京を

久しぶりのラーメン二郎

久しぶりのカレーを存分に楽しんで

やすべえのつけ麺大盛りを頼んで惨めにそれを残し、メンバーに片付けてもらい、

イベントの後「まだまだ飲みましょう」と言いながら最初に寝落ちし、

そんな惨めな姿を晒せる場所もなかなかないのだ。

 

そんなこんなでまた遊びに行くのを楽しみにしている。次は何をしようかな

カレー屋巡りかな

 

おはよう重力

僕は集中することが苦手だ。

厳密に言えば

集中しようと思ってすることが苦手だ。

 

「先送り症候群」なんていうものもあるが、自分はまさにそうであるし、これが自分が好きな物事にも表れてしまうことが悲しいところだ。

 

なので今までもバンドで作詞作曲、フライヤーやジャケットのデザインをする時などなんとなくの締切がフワッとしたものに関しては鉄を熱いうちに打ち、メンバーから「仕事が速い」と褒めてもらえるくらいには気持ちが熱いうちに睡眠を削って一気に作るように心がけてきた。

 

しかし現在、

家庭環境や先日も書いたウインターブルーも相まってなかなか進みが悪い。

 

何に対しても自分が好きで行っている文化的内容に関しては、好きでやっているのだからこそある一定のタイミングまでに奮い立たせて間に合わせることをポリシーにしてきたが、今回ばかりは追い込まれている。

 

というのも

今度の週末に東京へ行くことになっている。

親愛なる後輩が企画するイベントにDJ出演する予定があるからだ。

 

元々DJ活動そのものは6年前、アニメ好きが高じてスタートした。後輩に関してもその流れで一緒にDJをやってみないかと誘ってからコンスタントに出演してきたのだが…

 

新潟へと移住し結婚してからのここ最近は嗜好も変わり、アニメも1人で楽しみ1人で噛み締めることが増えてきたせいか、

普段も所謂アニソンの「元気さ」を一人で受け止めきれなくなってきたので、アニソン単体で聴くことが減ってきていた。

そんな嗜好もあって自分が選曲する上でも

ある程度リスニングに適した空気感のあるミックスをプレイできる場で、アニメ好きのセンテンスを少し匂わせるような方に気持ちが寄っている。

 

そんな僕にも数少ない友達がイベントに誘ってくれるのでDJとして細々とだが息をしていられるのだが、

今回は1月12日に東京で、

エレクトロニカという音楽ジャンル中心のDJイベントに誘ってもらったのでその準備をしていたのだ。

 

DJというのはその名の通り

「その場にいる人々が求めている音楽を、気持ち良い流れで繋いで満足感を演出する人」

なわけで、とどのつまり現地で集まっている人々を見て選曲するのが理想的なのだが

 

僕は即興で満足なプレイができる技術がないので、またそこまで現場に追われていないので、

「その分その場で選曲できる余地も若干残しつつ作り込んでいく」

というやり方をしている。

 

とはいえそのやり方で失敗したと思うこともここ近年は無いので、当面はこのやり方でやっていこうと思っている。

 

今回はかなり切羽詰まっている。

いつも作品として1ミックス作る気持ちでやっているが全く降りてこない。

直感や積み重ねではなくあらすじで作っていく派なので、軸が見つからないとなかなか動けない。

 

そんなこんなで

1/2〜1/6までの間、20時間くらいは卓の前にいたが完全に甘いじりして

「降りてくるの待ち」

の状態が続いた。

 

いざ検尿なのに催さない時と同じくらい焦っていた。

 

降りてくるとアドレナリンが

どばーーーーーっと出てきて、

何も手につかないくらい没頭できるのに全然降りてこない。

シャニマスばっかりやっちゃう。

 

そんな切羽詰まった僕が、なんとなくプレイリストを探っているとある曲に目が留まった。

 

Landau というアーティストの

Good Mornng Gravityという曲だ。

 

インストゥルメンタルエレクトロニカだが

タイトルと曲調から

「これ…私だ…」

 

と思った。

 

インストゥルメンタルの楽曲で

「これ私だ…」

となった数少ない例だろう。

 

爽やかで重く、

ごちゃごちゃとしてスタイリッシュなダルさ

こういうこじ付け的発想をする時が

「降りてきたモード」の始まり

軸も決まったしここから頑張ろう

 

降りてくるのが遅すぎたので間に合うかは正直わからないが、最高にダウナーであたたかいエレクトロニカセットになると思うのでお楽しみに。

 

以上

 

👅 〜カレー馬鹿舌脱却編〜

僕はカレーが好きだ。

もはやいまの時世にカレーとラーメンに関してはこう発言することすら恥ずかしさを覚えるのだが、実際カレーとラーメンだけでほぼほぼ生活が事足りるくらいに好きだ。

極論すれば自分で料理することも加えると現在はカレーの方にウェイトがあると思ってもいいかもしれない。

 

しかし僕は元々ここまでカレーに思い入れがあったわけではなかった。ラーメンはともかく自分にとってのカレーの立ち位置は明らかに今日までで大きい変化があったのだ。

 

カレーとの出会いに関して

ほとんどの人が自宅の夕食に出てくるカレー、もしくは給食がファーストインプレッションだと思う。無論僕も「おうちカレー」が最初の出会いだった。一般的な肉じゃがの工程の途中で水を入れルウを溶かし、カレーに変化させた形のごくごくシンプルなもので、肉とルウの種類が若干変わる程度のマイナーチェンジで数十年それが続いたが、それでも家の夕食メニューでもとりわけ好きなメニューだった。

 

しかしこの「おうちカレー」の立ち位置はそこからつい数年前までそこまで変化することはなかった。

 

僕の実家では外食でカレーを食べるということは基本なく、食べる機会があったとしてスキー場のフードコートや、ユースホステル等の宿泊施設で昼食に出てくるカレー程度だった。

大学に出てからはインドカレーやカレー屋さんのカレーも食べる機会が増えた。

 

どれも好きだったし、

どれも美味しかった。

美味しい時は

「これうんめ」

と方言混じりに声に出したものだ。

 

しかしここまでの美味い美味くないは

実のところ当時の僕の舌には全てマイナーチェンジの域くらいの変化しか感じておらず、

「おお、これ美味い!」

と発することはあっても、あくまでおうちカレーを軸にした多少の変化としてしか認識できていなかった。

 

ようは僕はカレーに関しては

特に馬鹿舌だったのだ。

 

しかしそんなカレー馬鹿舌だった僕も、

今ではカレーを食べて頷きながらああでもないこうでもないと講釈を垂れるようになった。

そうなったのは脱サラしてバンドメインにフリーターを3年やって、その後お茶の水にある専門学校に通い始めた時だった。

 

カレーに関してはかなり遅咲きだった。

 

通い始めた頃は周辺のラーメン屋に心奪われた。人生で初めてらーめん二郎が活動圏内に現れたのだ。これには心躍り、そこそこな頻度で足を運んだ。

周辺のラーメン屋さんもそこそこ行き尽くした頃、街を歩いているとカレー屋がやたらと目についた。御茶ノ水〜神保町にはたくさんのカレー屋さんがあり、食べログ3.7クラスの名店がひしめき合っているというのは恥ずかしながらその後調べて知った。

 

ある日一念発起し、

神保町でも歴史と知名度の高い3店舗に足を運ぶことにした。

 

ボンディ

スマトラカレー共栄堂

エチオピア

 

だった。

この3店舗へ行ってから僕の中のカレーの認識は180度変わってしまった。正直馬鹿みたいに美味かったし、何よりここにきて「味の違い」みたいなものを過敏に感じた。

急速にカレーの舌が肥えていく音がした。

 

まずはボンディに足を運んだ

一見定石通りの欧風カレーなのに、

フルーティでスパイシーで

初めて食べた時には

ミスター味っ子味皇様のように

「うー!まー!いー!ぞぉぉぉぉ!」

と言ってしまうくらい明瞭に美味かった。

店内にはたくさんの味皇が点在した。

 

エチオピアはとにかくスパイシーだった。クローヴが効いていて、ほぼスパイスによる風味のみで味が薄いため、卓上の塩で自分で味を調整する。スパイスの味や良さというのはここで知った。

何よりエチオピアは専門学校から1番近く、専門学校が終わった時間でも営業しており、サラリーマンばかりでカウンターがそこそこ空いているのでボロ雑巾のように疲れた単身三十路学生にはオアシスだった。

 

そしてスマトラカレー共栄堂だ。

ここはホールのおばさんの案内がとにかくスムーズで、相席などを駆使してたくさんの単身男性客を捌いていく。提供も恐ろしいほど速く、店舗滞在時間は本当15分くらいか…1人で行って無駄にゆっくり過ごした記憶が無い。

 

それもさることながら、カレーを初めて食べた時は独特の苦味に驚いた。想像とは少し違う独特なカレー。

しかしその後、これが中毒みたいになって今では1番好きなカレーだったりする。

 

それから家でもいろんな店のカレーの再現を試すようになった。

完全にカレーにハマったし、神保町の名店にも多数足を運んだ。

 

 

新潟に帰ると丁度そのタイミングで

新潟には大阪から来たスパイスカレーというものが流行し始めていた。

最初はインスタ女子向けの洒落臭いカレーだと思っていたが、行ってみて驚いた。

まだまだカレーには無限の可能性があるのかと思った。

 

より家でカレーを作る機会が増えた。

 

 

そんなわけで気づいた。

家にスパイスと玉ねぎだけ常備していれば、常にどんな時もカレー作れるのでは?

そして実際にこの三ヶ日も正月に余った食材でカレー味のパスタを作ったりして、僕は最強の環境を作り上げてしまった。

 

僕はカレーに守られた日常を手にした。

 

かつて舌が目覚める前に行ったカレー屋さんにも再訪したいと思っている。

週末に東京へ行ったら幡ヶ谷のあの、

上着を届けてくれたカレー屋さんにまた行きたいと思う。

 

イヤホンすぐなくす

 

小学校高学年くらいのころから

寝るときにはラジオを流していないと寝られなかった。

生活音や自然音が気になったり、余計なことを考えてしまい寝付けないのだ。

無音が苦手だった。

ラジオの種類はあまり問わず、一度聞いたことがある回でもよい。

楽曲が流れると情報量が増えるので余計なことを考えるフェーズに移行するので無理だ。ましてや小学生の時点で手元にある音楽というのは得てしてポップスだ。ポップス聴きながら寝ることは個人的に難しかった。

ラジオで男性が低いトーンでトークしている物自体が僕には心地よかった。

 

今も寝るときはできるならばラジオを聞きたい。

ラジオじゃなくとも男性が一定のトーンでトークしている音源なら基本的には良い。

勿論ある一定の質は必要だが。

(一時期知名度ゼロの素人がやっているポッドキャスト聴きながら寝てた頃もあった)

 

そんなことが影響してか

僕は一人でいるとき、何か聴いていないと不安になるという病気になった。

外出中に聴くものに関して言えばラジオである必要はないので音楽を聴くことが多くなった。そうなった場合に必ず付き合うことになるのがイヤホンである。ここでやっとタイトルにある「イヤホン」が登場した。

 

一人でどこかに出かける際

イヤホンを耳にあてて音楽等を聴くことは一般的に当たり前のことで

コンビニ等で買い物をする際にもできるならばイヤホンを外さずにやり過ごしたいという気持ちがありながら、何か言われることがあり仕方なく外したりするものだ。

ただ僕の場合はそこへの執着が強い。 

 

30年以上生きてきて

僕はいいたいいくつのイヤホンを使ってきただろう

そう考えるとゆうに数十個はイヤホンをとっかえひっかえしている。

ここ3~4年だけでも5.6個は買い替えているくらいに回転が速い。

上にも書いた通り、僕はイヤホンへの執着が強く

イヤホンを忘れたことに気づいたりしたとき、 出先で適当なイヤホンを買ってでも聴きたい気持ちになってしまう。病気の発作のようなものかもしれない。

そこに加えて僕は物忘れが多い。言うまでもなく病気だがその正式名称はここでは伏せておきたい。

 

僕はモノをなくすことが多い。

出先のトイレやどこかしらに忘れて行ってしまう。

ライブ出演時など一番大変だ。

それこそギターとアンプをつなぐケーブル(シールド)を何個そのせいで買い替えたかもわからない。

ライブのリハーサル後に近くのカレー屋へ行って、そこに上着を忘れてしまい、後でそのカレー屋のおばちゃんがわざわざライブハウスまで届けに来てくれたこともある。

そんな僕なのだから、イヤホンのようなサイズ感のものは無論何度もなくすことになった。

 

断線も多い

踏んでしまったり、バッグの金具に引っ掛けた状態で引っ張ってしまい断線することもある。僕のような性格の人間は、購入時の保証書などもなくしてしまう。なにより「どうせ1年以上使うだろうしな」と思って破棄してしまうこともあった。

さらにそのように思って箱にいれてしまっておくが、その場合断線ではなく紛失により買い替えとなることが多い。

結果僕は人生で、イヤホンを保証交換してもらったことがない。

 

そんなわけで僕はたくさんのイヤホンを葬ってきたが、

実はこないだの秋に3年使ったBluetoothイヤホンがしっかり天寿を全うした。

たぶん人生でイヤホンをしっかり寿命まで使ったのは初めてだった。

自分も少しは変われたかと、そんな風に思っている。

 

そしてその後

Bluetoothで完全ワイヤレスのイヤホンを購入した。

たまたま選んだ機種がとても良いものだったのかもしれないが、

ワイヤレス自体を当初「ダサい」とか「絶対なくすわ」と否定していた僕も、実際に使ってみると便利すぎて驚愕した

便利で音もいいし電池の持ちもいいし生活の邪魔をしない。さらに防水なので

 

もはや一日中している。

 

まだ紛失はしていないが、現在は細心の注意をはらっているので

これを紛失した時、僕の心は奈落に落ちるだろう。

 

今年の僕の抱負は、

イヤホンを紛失しないこと

 

 

 

 

 

赤身肉を希望した父を許さない

年が明けた

どういうわけか未だ頭はぱっとせず、

なんだか一連のSNSを見てはもやもやとした気持ちになったり、こんなにだらだらと過ごしていいものかと不安になったり、アイドルマスターシャイニーカラーズを手に取ってみたり、準決勝敗退前にAランクすら逃したりなどをして過ごしていた。

 

僕の住む家では以前に述べた通り、年末はほぼお笑い芸人さんが出る番組を見て過ごし

紅白歌合戦を見て、腐してみたり、感心してみたり

ごくごく一般家庭的に過ごしていた。

 

年末になると

基本的にはおせち料理をつくるものだが、

我が家ではいつもおせち料理に加えて

寿司やステーキ、エビフライなどの追加のパンチのあるメニューを用意する傾向があり、本来正月にのみ主役を張ることができるはずの料理たちが、

アベンジャーズのごとく集まった強キャラ達にセンターを譲っている様が見えてくる程に、テーブル上はカオス他ならない状況になるのだ。

昨年はそれに気おされるように食材はあまり、3日間ほど残ったおせちを食う羽目になった。

 

そうなった場合に寿司もステーキもめでたい席で食うには格好の品であるので

無理におせち料理を作る必要もないなと僕は考え、そして提案した。

家庭内でのもっともなご意見に、今までのやり方を変えることがとても苦手な両親世代も渋々受け入れた。

 

結果我が家では今年は

寿司を注文し、僕がステーキと茶碗蒸しを作り、

あとは頂き物のサツマイモがあるのでと、母親が栗きんとんだけ作ることになった。

 

準備もそこそこの12月30日

その日はいつも通りの夕食。

休みだった僕は奥さんの献立に則り夕食を作っていた。

そこに母親が帰宅。

手には何やら袋を持っていた。

親戚にもらったという。

 

あけてみると二尾の新鮮な真鯛が入っていた

僕と奥さんは驚愕した

おいおい明日のオペレーションに鯛を捌く時間などないぞと

まあしかしあまりにも新鮮で愛らしい真鯛なもので、

仕方なしに30日のうちに捌くことにした。

 

嫁いだり、上京した家族も含めて8人の食卓

二尾の鯛を楽しむには焼いたり刺身では少ないだろう。

そこでアラはお吸い物に、身は鯛めしにすることにした。

 

そして大晦日

僕は料理のために数ある出汁を取っていた

茶碗蒸し用の昆布、しいたけ、貝柱

お吸い物用の鯛、あご

翌朝の雑煮用の鮭、鳥

僕は完全に出汁取りマシーンと化していた

今どの出汁を要求されてもすぐに提供することができた

 

そんな出汁の総合デパートを決め込んでいると

母親が帰ってきた。

手には袋を持っていた。

 

あけてみると黒豆となます、大根のはりはり漬けだった

友人にいただいたという。

 

いや、これもうおせちのメンバーそろってきてるじゃん。。。

さすがにはりはり漬けもそのまま食らうわけにもいかず、松前漬けにした。

伊達巻こそないものの、ほぼほぼのレギュラーメンバーはそろっている。

 

アイマスのツアーの千秋楽くらいのメンバー量ではある。

僕は仕方なしにそれをおせち用の「おめでた容器」にそれを盛りつけ

おせちを完成させる運びとなった。

 

とはいえ今回は

若干名を招集しなかったおかげで思ったより苦戦とはならず、なんとか食べきることができた。

余談だが今回ステーキを作るうえで父親が「脂の少ない赤身がいい」と言い張るので、仕方なく牛ランプを使ったステーキとした。

結果年寄りが噛み切り易いよう薄めの切り口で切り分けたためローストビーフト近いものになってしまった。ステーキとして楽しみにしていた家族はおいしいとは言ってくれたが、ローストビーフとして食している様子。

 

父親も「これじゃローストビーフだな」と言いながら食べていた。

僕はこの言葉を忘れないだろう

そして、牛ランプのステーキは二度と焼かないと心に誓った。

 

 

とまあそんなこともありながら

晦日はどんなに考えて提供しても

母親という伏兵が取り締まりの網を抜けるように

「もらったから」という免罪符でおせち料理をぶち込んでくる。

これを今後も念頭に置いた上でのメンバー編成が必要なようだ。

 

来年の大晦日は無駄の無いメンバー編成にしたい。

 

赤身肉を希望した父を僕は許さない

おけさかときわか

僕はあまり船酔いしないタイプだ

そして牛歩のごとく進みの遅いフェリーという乗り物に関しても、割りかし好きの部類に入ると言っていい。

 

毎月どこかしらの月曜日

仕事の関係で佐渡島へ出張することになっているのだが、会社の上司達はこれを嫌がる傾向にある。

理由は簡単で上司達は船酔いしやすい体質のため、あまり船酔いしない僕にお鉢が回ってくるのだ。

 

佐渡島への出張の日は夜中の3時半に起床する。ほぼほぼ眠りも浅いままなんとか起床して家族も寝ている中いそいそと準備し出発。

4時半ごろにコンビニか吉野家くんだりで朝ご飯を食べ、5時には船室で良い場所をゲットするために待機列の先頭にキャリーカートを置く。

 

ここまでがルーティンだ。

フェリーの二等船室というのは広い絨毯のスペースに各々のモラルでもって場所を作っていくシステムになっているので、運がよければ快適、運が悪ければ甚だ不快。これはもはやギャンブルに近い。

上手くいけばコンセントがあるポジションを獲得できるが、上手くいかないことも考えられるのでモバイルバッテリーも持っていく。

 

佐渡島へ行き来するフェリーには2種類ある

ときわ丸

おけさ丸

 

ときわ丸は新しく、席の配分も素晴らしく場所取りもしやすい。

おけさ丸は古く、席のヘリが斜めだったり謎の作りなのでデッドスペースができやすく、無能な乗客が場所取りすると無駄が多く全然綺麗に埋まらない

 

僕はいつもこの

ときわ か おけさ か

のギャンブルに立ち向かわねばいけないのだ。

 

ここで1番腹が立つのが高齢な乗客だ。

特有の「パーソナルスペース侵害」という技で僕を苦しめてくる。

 

僕は1人で屋外で行動する時、基本気が立っていることが多い。1人で行動するのは好きだがかなりナイーヴなので、この1人で行動する環境に配慮の無さや集団で気が大きくなったことで侵害してくる者に、この世の憎悪の全てを込めたような面構えで嫌がってしまう。

これは音楽を作る上で歌詞にもよく登場するが、大学生などが陥りやすいサークル等の集団にいることで自分が何をやっても許されると勘違いしたような行動や、自分勝手を拗らせた老人、スーパーで距離を詰めてくるババアなど

僕は常に日常に潜むストレスに過敏で、ストレスを感じ安い。

しかしそんな中でも

本当になぜお年寄りはあんなにも僕が不快に感じる距離に陣取るのか?

 

そんなことを辛さのあまり呟いたところ

「君のこと好きなんじゃない?」

みたいなことをリプライしてきた人がいたが

僕は本気で嫌で呟いていたので無視した。

 

 

そしてこの席取りゲームで1番腹が立つのが

「コンセントポジションに陣取るのに、コンセントを使わない奴」

本当考えろよ

なんか書いてて腹立ってきたな

 

と、5時半の搭乗時間まで

このようなストレスを回避するために早めに陣取っているのだ。

 

つらつらとこのようなストレスについて書いたが、僕は基本片道2時間半かけて佐渡島を回り往復して帰るこの出張が好きだ。

 

普段の営業事務所に寄らず、

若干旅行気分で好きなスタンスで仕事できるというのもまた魅力だったりする。

 

なのにも関わらず、

「この出張は苦痛なものだ」

という社内認知のせいか、

「お疲れ様、大変だったね」

となぜか労っていただけるのだ。

僕は半分旅行気分とも言えず、いえいえと謙遜して見せるのだった。

 

旅行として佐渡島へ行ったことはないので

ちゃんと旅行もしてみたいが

また来年行くのを若干楽しみにしている。

 

ただ何度行っても

上記のストレスが消えることはないだろう

ただもし僕の心が広かったとして、

それが故に無い頓着からまた別の誰かにストレスを与えるのかもしれない。

 

そう考えると

ストレスを溜めながらでも、この性格でいたいと思った。

 

広い絨毯席に小さく蹲り、録音したラジオを聴きながら今日も社会を恨むのだった。