subcul-kuso-bloggg

JOHNNYPARKというバンドでvo、たまにdjやります。現在は新潟在住

ミーのハー

うちの奥さんは兼ねてから焼き芋が好きだ

最近テレビの情報番組で

「今焼き芋女子が話題!

品川焼き芋テラスへ潜入」

みたいなコーナーがやっているのを観て、

「女子に人気 って言われたらその時点で寿命終わりって感じする。とても嫌」

 

と言っていた。

昔から「これが好き」よりも

「流行っているものが好き」な人は多々いるが、昨今の女子のブームは写真ありきなので、そこに自分が兼ねてから好きなものが取り込まれていくことに余計に嫌悪感を覚えてしまう。

これは自分にしても共感できる所だった。

 

僕も含めサブカル趣味というのは基本他の人があまり知らないことを知っていることに快感を覚える嗜好なので、基本的にはミーハーと対立することになる。

 

サブカル趣味にとって重要とされるのが

「ファンは少なく、理解者は多く」の精神で

 

ファンが増えると「私の方が先駆者だ」と誇示するようになる。SNSが普及する前のBBS中心だった僕が高校〜大学生時代も、BUMP OF CHICKENエルレガーデンマキシマムザホルモン等のBBSでは常に新規と古参の目も当てられない小競り合いが繰り返されてきたのを覚えている。

 

有名になったら好きじゃなくなった

それはアニメでも音楽でもお笑いでもグルメでも、サブカル趣味にとって日常茶飯事である。

 

僕個人的な話をすると

このSNS社会というのはコンテンツの話になるとどっちがドープかのマウント合戦でしかないので、しばらく前からそういうのをやめることにした。

興味が湧いたら興じて、騒がしくなって興味が薄れたら黙ってやめる。それだけだ。

ようは通もミーハーもどっちもやだからそもそもアピールしないし見ないことにした。

 

ところで

ミーハーの線引きとはなんだろうか

と思うこともある。

 

僕は興味を惹かれる基準こそ「女子の間で流行だから」ではないが、その一段下のアンダーグラウンドの上澄みの界隈において

「密かに注目を集めている」

とか、それこそアニメで話題になったりした時、恥ずかしながらしっかりと心を動かされてしまう方だ。

 

それこそ

ラーメン二郎も、

神田のカレーも、

スパイスカレーも、

サウナも、

DIYも、

スニーカーも、

キャンプも。

今ではれっきとして「流行」だ。

写真も撮るしSNSにそれを載せている。

 

元々好きだった経緯などはあれど

流行になってから、その流行したスタイルに迎合しめしっかりのめり込んでいるわけで…

どんなに言い訳しても

「一階層アンダーグラウンドにおけるミーハー」

ということで違いは無いんだと思う。

 

オタクはテレビのバラエティを馬鹿にするし

ニワカサッカーファンを馬鹿にするが

結局何かしらのミーハーをやっているわけで

結局ミーハーを馬鹿にできない。

 

 

けどミーハーと思われるのも怖いし、

地上のミーハーをナチュラルに受け入れる器も無い。

だから僕はなるべく黙っていることにした。

 

マウント、イキリ、ニワカ

この辺のやりとりにうんざりして

どのポジションを取ってもダサい昨今

 

みんな

ミーのハーを認めて

認めた上で逃げようよ

 

 

そして、会った時存分に毒を吐こう。

アディオス

レコメン恐怖症

僕は何かをオススメしたりプレゼンしたりするのが好きだ。このブログもそもそもはそういうテンションでスタートしたものであったりした。

 

結果その道に進むことはなかったが、高校生時代の僕は音楽ライターに憧れた。以前にもたくさん書いているが、ネットはあっても望んだ情報にたどり着けていなかった高校時代、供給が少ない田舎でアメリカやイギリスのロック&ポップスの情報を得るにはやはり雑誌が1番身近だった。

 

学校が家から遠くアルバイトもできない高校生が少ない小遣いで買えるCDなんて月に1枚か2枚程度。僕は吟味してそれを決める必要があった。

 

当時買って読んでいたのはrockin'on。CROSSBEATSNOOZERは立ち読みしてじっくり読みたい記事のときは購入した。

 

これらの雑誌の優秀で個性的なライターさんたちが、その時期話題のCDやクラシカルな名盤についてオススメしてくれるのを吟味しているうちに、自分も音楽に詳しくなって誰かにオススメしたい。そう思うようになった。

 

当時1番影響を受けたのは

rockin'onでのTHE WHITE STRIPESを評した

「3つのテーマに凝縮された無限大の情報量」

(細かくは記憶と違うかもだが…)

 

このコピーを読んだ際、僕は一気に惹きつけられ「ミニマルなのに情報量が多い??どゆこと??」とレビューをじっくり読み、結果購入して没頭してしまった。

 

僕はこれら音楽雑誌のレビューに影響を受けてブログなどを用いてそれらしい文を書くようになった。

文を書く練習、文を書く手ほどき、文を書く上でのセオリーなど全て知らず、大学も英語や環境問題とかの勉強が多く、文の書き方について学ぶ講義も受けていなかったので

ブログなどで書いているスタイルもほぼほぼ音楽雑誌の真似をずっとし続けている状態ではあったが、大学3年の冬に夢を追ってrockin'onにもエントリーして書類選考まで通ったが二次でしっかり落ちた。

 

僕はこの時点で他に入りたいところもなく、アパレルの方で内定をもらったのでそちらへ進んだが、違っていたらどうだっただろうか…と考えたりもする。

 

 

そんなわけで

中途半端なノウハウを駆使し

少し前までは熱くアニメをオススメしたりすることをしてきたが、その熱量が今はない。

 

熱量は恐ろしい。

熱量は人を惹きつけるが

温度差でより冷めるのも知っていた。

熱中は恐ろしい。

熱中は盲目の入り口で

紹介のつもりが押し付けていることがある

 

僕は熱を隠し、息を殺して生きる。

オススメするのが怖い。

 

今まで色んな人に

「オススメある?」

と聞かれて自分のオススメを熱弁し

それを何の関心もなくかわされた時

 

自分が熱く熱弁したそれが

そいつの固いツラの皮に摩耗して

擦り減った気がした。

 

僕は

オススメなど本来求めておらず、

「自分その分野も視野に入ってますから」

のボースティングのために人を利用する人間によって好きを削られた記憶が多い。

 

求められて答えてそれが叶わないならまだいい

人の熱意につけ込んでわざわざ

「それつまんないですよね」

と言ってくる人間もいる。

相手がそれを好んでいるとわかって言ってくる

正気か?と思うが存在する

 

コンビニで新しいカップ麺を買い、部室で食べようとお湯を注いで待っていると

「それまずいですよね」

って言ってくる人間もいるが確実に同種族だ。

正気か?と思うが存在するのだ。

 

嘘でもいいからそんなに熱弁していたら

「メモしました…!今度の休みに見ようっと」

くらいのことは言って欲しいものだ。

 

それができないならオススメなど聞くな

お前には無償でも、こっちは減るんだぞ?

不公平だろうが

 

 

もう直接的なオススメなんて

信頼できる人にしかしたくない。

 

ここでまた何かをオススメするかもしれない

長渕剛主演映画をオススメするかもしれない

 

なのでみなさんは

「メモしました…!今度の休みに観に行きますね…」

 

と言って欲しいですね

 

寿司からの解放

先日メディアから受けた寿司の洗脳

その洗脳からの脱却のために今日は寿司屋へ行くことにした。

 

たまの平日休みで悪天候でもあったためか休日は数十人並ぶ人気の回転寿司もオープン後一番乗りすることができ、幸先の良いスタートを切った。この数日間、「寿司を食いたい」としか発しないほどに侵食されていた。恐らく僕は国の機密事項をどこかで知ってしまい、メディアからその情報を消すために「寿司」による洗脳を施されたのだと、そう思うことが日常の推進力となり、このブログを書いているときにはもう僕は「寿司ロス」になっている。

 

僕の幼少期、誕生日と言えば回転寿司だった。

ほぼ確定で3人兄妹だれの誕生日でも回転寿司だった。そのループは長女が高校生の頃「今年は寿司ではなく焼肉がいい」と主張するまで続いた。

 

僕はマセたクソガキだったので、

「えんがわ」や「ウニ」を好み

それをクラスメイトに偉そうに語った。

ひどいもんだ。

 

その後大学生になり、自分の金で寿司を食べるようになると百円寿司へ行くようになった。

当時の百円寿司はクオリティがそこまで高くなかったので、サーモンやイカだけで妙に種類豊富だったがそれをひたすら食べていた。

正直ここで高めの回転寿司と百円寿司との境目が曖昧になり、「そんな変わんねえだろ」とまで価値観は揺らいでいた。

僕の中で回転寿司の特別感は薄れていった。

 

そして

大人になりまた実家の美味しい回転寿司に来た時、ここでまた舌が肥えていたことに気づいた。寒ぶり、ノドグロ等の脂がのった美味しさを感じつつ

白身魚の良さを初めて知った。

白身魚ってこんなに美味いのか

白身魚って淡白すぎて焼魚やフライ、天ぷらの方が合うと思ってきたが

こんなにプリプリで美味いものか

 

嬉しかった

今日もクロダイメバル、スズキ、マダラ

どれも最高に美味かった

 

こうして寿司をたらふく食べた僕は

晴れて寿司の呪縛から解放され、

「寿司食いたい」

以外の言語を身体に戻してもらった。

 

 

食べ終わり帰路につくことに

とはいえど平日で人も少なかったし、もう少しゆっくりしていこうという話に。

では口の中も魚感が残るので

同じ敷地内にあるお洒落なカフェでコーヒーをテイクアウトして帰るのもいいね

 

なんて奥さんと話しながらカフェに入ろうとすると

5〜6席無いくらいの店内を3人の女が広く使い、ほぼ占拠しながら写真をパシャパシャ撮っていた。

見るからに

「自分たちが世界の中心と錯覚している典型的サークルクソ大学生」

という出で立ちで写真を撮っていた。

 

もちろん僕はそのお店に入ることを諦めた。

ああいう奴は自分たちが主人公の物語を楽しんでるうんこ女なので、関わるだけ損しかない。自分が大学生の頃まさにそうだったからよくわかっている。

 

寿司の呪縛を克服した僕は

そいつらにクソを漏らす呪いをかけ

自らもクソを出し

 

いそいそと帰宅した。

 

寅さん

僕はラジオが好きだ

今ほど身の回りが充実していない小中学の頃はFMラジオで音楽を楽しんでいたが、段々と音楽よりトークを聴くことが好きになり芸人さんのラジオを聴くように。

 

数年前は声優さんのラジオばかり聴いていたり、ラジオ風のYouTubeを色々聴いたりとしたこともあったが、現在はまた芸人さんのラジオを聴いている。

 

伊集院さん、有吉さん、ハライチ、山里さんの四つを聴いている。

 

ラジオへの愛に関しては今回はここまでとして、その中のハライチのラジオで岩井さんが「寅さん」の話をしていて、自分も寅さんについて思うところがあったので興味を持った。

 

岩井さんは男はつらいよシリーズを見たことがないのにもかかわらず、放映中の映画を観に行ったという話で、結論には「感動した」などと寅さんを否定しきらずしっかりと笑いにして終わっており、さすがだなあ…と感嘆したものだが、話の内容そのものは

 

寅さんという「ダサかっこいい男」像が

現代の我々世代からするとかなりズレているように見える。

 

というもので、自分もそこに頷いた。

 

僕は「男はつらいよ」が好きだ。

好きだと言っていいほどのファンではないし、全ては見ていないが、見た何作かのお話そのものや、寅さんの女々しさと言い回しがとても素敵だった。

 

だが、寅さんがかっこいいとは思えない。

寅さん=かっこいい

の思想を持っていそうな人間と仲良くなれるとは思えない。

 

僕ら

と括っていいものか不安ではあるが、僕くらいの年齢の世代は

「昭和の男らしさ」に痛いほどいじめられ、

「平成男子のスカシ」にも馴染めず

結局変なところハイブリッドされて生まれた気持ちの悪い世代だと思っている。

 

僕が小中学生の時代のマンガやドラマでは

「個性を潰すな!右ならえの人生なんてつまらない!」

と高らかに歌うものが多く

かたや田舎だったので周りの大人は

「みんなこうしてるんだからお前もこうしろ」

と言う。

 

どちらが魅力的に映るかは明白だった。

不良も嫌いだった。不良は不良で不良の型にハマっていたので1番ダサいと思っていた。

 

寅さんに対して現代の視聴者は

「クズ」「かっこよさがわからない」

というが、僕はそうは思わない。

 

寅さんそのものは

階級社会を嫌い、フーテンとして暮らす

これは社会の束縛、右ならえへのアンチテーゼでもあり、むしろ僕らの学生時代に良しとされた風潮なのではないか?

さらに寅さんはその他にはない魅力でたくさんの女性と恋に落ちる。

何もしないでハーレム作って誰も選ばないラノベの主人公より「クズ」だろうか?

 

そうも思ったりしてかなり肯定的な気持ちになったがすぐ撤回した。

ここで問題になってくるのが当の寅さんだ。

 

寅さんは社会へのアンチテーゼを持ちながら、

人の心にズカズカと入り文句を言ってくる

 

1番厄介なタイプのオタクのような存在だった

 

僕が寅さんを嫌いなのはここだ

1番人から外れているのに、人に文句を言いまくる。自分の正解を押しつけまくる。

「昭和の男らしさ」の功罪である。

 

何より嫌なのが

寅さん=素敵 の価値観の奴ほど

「バンドをやる」

という僕に対し冷ややかな言葉を浴びせてきたということだ。

 

お前テキ屋で住所不定のおっさん尊敬してたよね?

 

こいつらは寅さんの何に惚れたのか

寅さんのことが嫌いな僕の方が

よほど寅さんのこと考えているんじゃないか

ふざけんな

 

 

そんなわけで僕は寅さんが嫌いだ。

昭和が作り出した理不尽な男らしさ

周りの老害を思い出す胸糞の悪さ

 

けど男はつらいよを見て

結果泣いてしまうわけだ

 

オススメです。

 

寿司の声を聞け

色々考えていることがある。

とても嬉しいことだ。羨ましくもある。

今鬱鬱としたバイタリティとは裏腹に気持ちだけは何かの膜を破って出てきそうな予兆だけざわざわとある。

 

ただそれを言語化してここに発してしまったら、またそれで終わってしまうことが怖いので言葉にはしない。

 

1つ言えるとすれば「僕だって」ってところだ。

 

会社も変革期で今かなりざわついているため、とにかく気持ちだけ保ちたい。

 

 

さて数日前のこと

テレビを観ていると色んな地域のご当地グルメを美味そうに紹介するという番組が放送されていた。

夕食どきの民放のバラエティ

つまらなくてもよかった

数人で夕飯を食べながらゆっくりテレビを観ている状態で攻め攻めなお笑いや企画など見たくはない。なんとなく観れるんだからグルメ、クイズ、健康番組くらいでちょうどいいのだ。世間一般的に。

 

これでまだ足りない

というならその時間あなたは自分で観たい動画などを探してその時間流せばいい。

 

面白いかどうかは置いておいて妥当だと思う。

 

僕はそんなふうに

ナナメに観る人を想像してはさらにナナメに見て、さらにそんな自分すらもナナメに見て最終的は天井の隅辺りに魂ごとへばりついていることが多い。

 

この日も天井の隅から楽しくテレビを斜に構えてご覧になっていたところ、新潟県湯沢市の美味そうな寿司が紹介された。

 

その日の夕食は自作のカレーだった。

ゴボウを使って胡麻坦々風のベースにルウを作ぅたもので、正直かなりの力作だったし自画自賛するほど美味かった。

 

なのに僕の脳みそは寿司に支配され

天井の隅にいた魂もまた寿司によって身体に戻ってきた。

 

この時寿司による洗脳を受けた

脳は寿司を崇め、寿司にひれ伏し、寿司の声を待ち、寿司に懺悔した。

そして寿司は僕の口にその力を施した。

 

寿司の口になって今日で2日目

シラフ(寿司なし)ではいられない状況が続いた

何を食べても「寿司以上が以下か」でしか考えられなくなっていた。

 

僕の中にある寿司への潜在意識がメディアによって引き出された。

屈辱的だ。僕は小市民だ。

恥ずかしながらメディア寿司に負けた。

今度の休みに寿司を食う

その目標が果たされるまで僕は悩まされるだろう。

 

寿司が僕を呼ぶ

寿司の声を聞け

ただ寿司を待つ

ドロヘドロとビレバン男子

仕事やらそれ以外の諸々がカオスに入り乱れたこの1週間。ツイートもブログもアニメも急に見るのも嫌になり、何も考えずに合間の時間はずっとラジオを聴きながらアイドルマスターシャイニーカラーズをして過ごす。これに没頭することで現実逃避していた。

 

心が完全に無で、何にも心が動かず

ただただアイドルを育ててはその内容に落胆し、ガチャを回し結果に落胆し、クソを漏らし落胆したりとを繰り返した。

 

そんな中無常に今期もアニメがスタートしていた。ここ1年の僕はすっかりアニメを見る本数も減ってしまい、なかなか観る気持ちになれないでいたのだが、今期は「ドロヘドロ」がついにアニメ化され放送が始まるとのことだ。

 

鬱屈した気持ちはあるが、

ドロヘドロと聞いて思い出すことがあった

 

中学卒業目前の頃

誰かと違うものに憧れまくるサブカル男子予備軍ながら、読んでいる漫画は少年ジャンプ・マガジンばかりだった僕に家庭教師の先生が一冊の見慣れない漫画をくれた。

 

「俺の人生のバイブルだ。気に入ったら続き買って読んでみてくれ」

クサい台詞とともに手渡されたのは

鉄コン筋クリート だった。

 

サブカル大学生がサブカル男子予備軍に、サブカルの入り口を作った瞬間だった。

拗らせの扉がこの時開いた。

 

鉄コン筋クリートをかわきりに

僕は松本大洋をはじめとする「サブカルウケ漫画」ばかりに興味を持ち、あまつさえそれこそが至高でそれ以外はダサいとまで思うようになった。

 

このように、これでもかとこじらせていった学生にこの出会いは必然だったとでも言うように、高校生時代はヴィレッジヴァンガードに入り浸った。テンプレートかのようにビレバンに入り浸った僕は、やはりあの黄色いポップに導かれるままにサブカルウケな漫画達を手に取った。

 

そこで出会ったのがドロヘドロだった。

 

その重厚なパッケージと特大コミックという一冊の金額にビビったお小遣い月2000円だった僕にしてみると買うことはできなかったが、ビッグコミックIKKI掲載のマンガ達は僕たちサブカル高校生男子の心を鷲掴みしにしていった。

 

そして数年が経ち僕は茅ヶ崎へ移り住み、バンド活動に明け暮れ、大学を卒業した。

今思えばもっとこの頃マンガとかゲームとかやっておけばよかったかもな…真面目に音楽ばかりやっていたな

 

卒業した僕はもう一年茅ヶ崎に住んでいた。

月1回のペースで仲の良い後輩だった若と2人でスーパー銭湯へ行き、その後その若の家でひたすらダラダラして帰るという流れがあった。

 

そんなある日、

僕は翌日何も予定が無かったのでいつものように若とスーパー銭湯入ったあと、なんの目的も意味もなく泊まることにした。

 

たぶん寂しかったのだと思う。

ひとしきりくだらない会話に花を咲かせた後に眠りにつく。このくだらない会話の延長に「ピシャーチャ」などが生まれた気がする。

 

朝起きると

若は1Pプレイのゲームをずっとやっており、また当時はスマホも無かったので本屋へ行くことにした。

「今日はマンガを大人買いして読み、若にも読ませて共通の話題にしよう」

 

そう思って本屋へ行った。

僕は思い出した。

あの高校生時代に憧れたドロヘドロ

読むのは今なのでは?

その時急に昔の気持ちを思い出し、そこそこな金額で出ている巻まで大人買いだ。

 

ドロヘドロは、この時若の家でモラトリアムのような時間の中で読みふけった思い出がとてもある。その当時彼と一緒にバンドをやるなんて思いもしなかったが、そんなドロヘドロがアニメ化するっていうのは個人的にしみじみする部分があるということだ。

 

ドロヘドロのアニメを1話見て

その作り込まれたカオティックな仕上がりに感動し、また作品に忠実な内容に熱くなり、またマンガを読みたくなった。

 

どこまでアニメ化するのかわからないが、この先も楽しみである。

 

進めば進むほどわけわかんなくなると思うけど、それすらも再び楽しみたい。

若はコロナウイルスから逃れることができるのか。それも祈りたい。

 

それが ドロヘドロ

陶芸

奥さんの元職場の女性の先輩が新潟に遊びに来るという。奥さんは旅館をおさえて一緒に泊まるというので、僕はその日1人で気ままに過ごそうかなどと考えていた。

 

しかし

「旅館のご飯も美味しそうだし、先輩もせっかくだしと言っているから一緒にどう?」

先輩は昨年にも新潟に来てくれていて、その際に手厚く対応したのもあり、また立場上その形を快く提案してくれた。

 

そんな話になり、部屋内にしきりもあるのでと一緒に泊まることになった。

温泉旅館ではめずらしく大浴場にドライサウナがあるという設備もまた僕の足を前に進ませる要因になった。

 

旅館はとても過ごしやすく、サウナも客入りの割に空いており、先輩もまたコミュ力のとても高い方なので久しぶりにリフレッシュさせてもらった。さて翌日は新潟を観光、そのようなスケジュールだ。

 

 

奥さんにスケジュールを聞くと

「陶芸教室に申し込んである」

とのこと。

 

僕の心には暗雲が立ち込めた。

僕は発想力には自信があるが、手先は不器用だ。恥をかきたくなかった。

 

僕は陶芸からすぐに連想した

 

古風な公房で作務衣を着た老人が、申し込んだ2〜3組を相手に「素人には一聞で理解不可能な説明」をした後ろくろを回させる。

 

地方の老人には口が悪く、なぜか自分ができることを他人ができないと喜び、横柄にそれを笑い、晒しあげる人が一定数いる。

こういう奴が違法なエロ動画の架空請求に騙されるのだと信じたい。

 

職人は擦り寄り上手な女性参加者に付きっきりでろくなアドバイスはくれず、僕みたいな不器用男性はテレビの芸人のようにすぐにグシャアッ…となり、職人はそれを「だからこうしちゃダメだと言ったろうに」と叱責した上晒し者にしガハハと笑う。

 

そんな絵が一瞬で頭に浮かび、憂鬱になった。

 

 

旅館のチェックアウトを済ませた頃

陶芸の予約まであまり時間がなく、道路の状況によっては遅刻の可能性が高かった。

僕は戦慄した。

もし陶芸の職人が想像通りの老人ならば、このこともいじってくるに違いない。

 

トイレも我慢して急いで現地へと向かうことにした。しかし道は混雑し、数分の遅れは確定した状態で近づいていった。

 

到着すると、想像とは大きく違う「アトリエ」がそこにはあった。

 

職人さんは30代の優しげな男性で、作務衣ではなくオーシバルのボーダーカットソーに白いエプロンをしたオシャレな方だった。

店内は若者が通うカフェのようにナチュラルでお洒落な空気。おだやかで優しく、僕の想像とここでも大きい乖離を見せた。

 

僕は自分の想像に別れを告げ、心の中で想像した内容に関して申し訳なく思った。

僕は皿を作りたかったが、皿は陶芸体験としては簡単すぎるとのことで、今回はどんぶりを作ることに。

 

陶芸体験がスタートすると職人さんがガイドしながら教えてくれるため、テレビの芸人のようにグシャアッ…となることはまずなかった。

むしろグシャアッ…とする方が難しい気がした。テレビの演出になんとなく不信感を感じつつ、また難しさもしっかり感じつつ、僕のどんぶりは無事完成。

 

数ヶ月後に焼き上がるのだが、素敵な空間で初めての陶芸をできたことを嬉しく思った。

俗世にはまだまだ楽しいことがあるな

そう思った休日だった。