寿司の声を聞け
色々考えていることがある。
とても嬉しいことだ。羨ましくもある。
今鬱鬱としたバイタリティとは裏腹に気持ちだけは何かの膜を破って出てきそうな予兆だけざわざわとある。
ただそれを言語化してここに発してしまったら、またそれで終わってしまうことが怖いので言葉にはしない。
1つ言えるとすれば「僕だって」ってところだ。
会社も変革期で今かなりざわついているため、とにかく気持ちだけ保ちたい。
さて数日前のこと
テレビを観ていると色んな地域のご当地グルメを美味そうに紹介するという番組が放送されていた。
夕食どきの民放のバラエティ
つまらなくてもよかった
数人で夕飯を食べながらゆっくりテレビを観ている状態で攻め攻めなお笑いや企画など見たくはない。なんとなく観れるんだからグルメ、クイズ、健康番組くらいでちょうどいいのだ。世間一般的に。
これでまだ足りない
というならその時間あなたは自分で観たい動画などを探してその時間流せばいい。
面白いかどうかは置いておいて妥当だと思う。
僕はそんなふうに
ナナメに観る人を想像してはさらにナナメに見て、さらにそんな自分すらもナナメに見て最終的は天井の隅辺りに魂ごとへばりついていることが多い。
この日も天井の隅から楽しくテレビを斜に構えてご覧になっていたところ、新潟県湯沢市の美味そうな寿司が紹介された。
その日の夕食は自作のカレーだった。
ゴボウを使って胡麻坦々風のベースにルウを作ぅたもので、正直かなりの力作だったし自画自賛するほど美味かった。
なのに僕の脳みそは寿司に支配され
天井の隅にいた魂もまた寿司によって身体に戻ってきた。
この時寿司による洗脳を受けた
脳は寿司を崇め、寿司にひれ伏し、寿司の声を待ち、寿司に懺悔した。
そして寿司は僕の口にその力を施した。
寿司の口になって今日で2日目
シラフ(寿司なし)ではいられない状況が続いた
何を食べても「寿司以上が以下か」でしか考えられなくなっていた。
僕の中にある寿司への潜在意識がメディアによって引き出された。
屈辱的だ。僕は小市民だ。
恥ずかしながらメディア寿司に負けた。
今度の休みに寿司を食う
その目標が果たされるまで僕は悩まされるだろう。
寿司が僕を呼ぶ
寿司の声を聞け
ただ寿司を待つ