subcul-kuso-bloggg

JOHNNYPARKというバンドでvo、たまにdjやります。現在は新潟在住

謎のタピオカ

インスタ映え

ハロウィン

TikTok

チーズダッカルビ

タピオカ

 

兼ねてから我々ひねくれ男子が忌み嫌うこのような要素は、

「動機がみんなやってるから、いいね!が欲しいからと承認欲求に盲目になり、結果盲目なあまり周囲への迷惑を軽視しがちなコンテンツ」

とどのつまり端的に言い換えれば

「チャラついててなんかいけすかない」

の代表的なアイテムたちである

 

「女子の間で大流行!」

この言葉を聞くや否や、

我々ひねくれ男子は装備を整え、補助系の魔法を自分にかける。

そしてため息を1つついた後、

何が大流行かとばかりに否定し、

「中身がない」

「インスタのためにやってんだろ」

とヤジを飛ばすことが、もはやお約束のようになっている。

 

ひねくれ男子の特徴として、

自分が没頭するものには無理矢理にでも理由や動機付けによる「本気度の担保」をしたがるものなので、

「なんかいい感じだから」

という浮ついた考えを嫌う人が多いのはとてもよくわかるし、なんなら僕はそのまさに円内にいると言ってもおかしくないと思う。

 

ただ、ひねくれ男子は常に「俺は群衆心理に埋没しない」というアンテナも持っているので、上のクソ項目に噛みつく人達が増えていけば行くほど

「もう俺そこのステージじゃないわ。」

とばかりに一歩引いて、むしろ肯定的になっていったりするものだ。

 

僕もまたその1人で

上の項目で言えばタピオカにはそこまで嫌悪感を感じなくなってきていた。なぜかと言えばタピオカを片手に持ってヘラヘラ歩いている若者や、そのゴミをその辺に放置する様などを見る機会がそこまでないからだ。

 

これは田舎に住んでいるからというのもある。

そして何より

かわいい声優さんが、気恥ずかしそうにタピオカを飲んだことをインスタグラムなどに上げていたりしているのを見ると、何を頭ごなしに怒っていたのだろう?もはやチャラい人以外にも国民的に人気があるものに対して目くじら立てなくてもいいのでは?だって女性声優さんがやってるんだからもういいじゃんそれは

と情報は修正されていくのだ。

 

僕は声優さんのインスタグラムが好きだ。

Twitterとは違う魅力が伝わってくるし

Twitterとは違い大喜利コメントで爪痕残してやろうみたいなクソ野郎もあまり目につかない作りになっているので見やすい。

特に井口裕香さんのインスタグラムが好きだ

 

これに関しては個人間で認識は違うかもしれないが、僕が見る限り井口裕香さんは良い意味で「声優さんっぽくない日常」を感じさせる投稿が多くて、井口裕香さんの声優さんっぽくない日常に触れるたびに、肌の露出とか関係なしに 

「なんかエロい…」と思って

とりわけ興奮してしまうのだ。

 

これは至って個人的な認識だ

 

僕は井口裕香さんのインスタグラムを、「高校時代の少しエロい先輩」というフィルターに通して、限りなく性的と言える目で楽しんでいるのだが

 

僕は井口裕香さんのインスタグラムを、「高校時代の少しエロい先輩」というフィルターに通して、限りなく性的と言える目で楽しんでいるのだが

 

そんな井口裕香さんがタピオカを当たり前に飲み、それをインスタにあげている以上

僕にいちいちタピオカ側まで乗り込んで文句を言う意味は無いと。そう考えている。

 

 

少し前の話だが

新潟市内で営業していた午後の日だった

週2回ほど訪れる取引先へ向かう途中、1Fのシャッターが閉まった二階建てのビルがあった。シャッターの向こうで出店用のテナント工事中と思われ、シャッターの横には

「謎のタピオカ」

と書いた板が立てかけてあった。

 

ん?

なんだろう

 

そう思って眺めていたのだが、

それから3週間その地を訪れるたびにその板を見かけることになった。

 

推測すると「はは〜ん…ここはこれからタピオカ屋ができるテナントだな」

となりこの話は完結し、開店という名の答え合わせを待つのみとなったはずだったのだが

 

何度もそこを通るたびに

この板を置いた側の思考にまで思いが巡ってしまい、この「謎のタピオカ」という文言に

僕の小さいひねくれ心が引っかかっていった。

 

こいつら「謎のタピオカ」

とだけ書いた板を置いておくことで、

「何やら意味深な看板発見…!謎のタピオカ…どんなタピオカなんだ😂

#タピオカ #謎 #🤔 #謎のってなんやねん #これからいつメンでカラオケ #煮汁」

 

とかいう文言とともに写真が投稿されて、オープン前から口コミで話題となることを狙っているのでは…?

 

その思考につながるようになってからというもの、そこを通るたびにシャッターの奥で

「あの板絶対口コミ集まると思ったんだよな〜」

というような話をへらへらと語り、発案者がしたり顔でタピオカ吸ってるところまで頭によぎってしまうようになった

 

地元の世間知らずで、しかし背伸びしたい盛りの若い女の子がその板の写真を撮って、グループラインに送って盛り上がったらインスタグラムに軽薄な文を添えて投稿し、そこに輪をかけてキツい大喜利のようなコメントがついているところまで想像してしまう

 

心の中がドリップコーヒーのように抽出された純度の高いひねくれで満たされていった

 

今ではそのお店はオープンして、

若者が嬉しそうにタピオカを持ってそのお店から出てくるのを眺めながら取引先に行く日々となった。微笑ましい光景だ。

まるでそんな板の存在覚えているのも僕だけかのように、悪目立ちもせず、飲みたい人がそこへ行ってタピオカを飲む。そこに悪意など湧きようがないのだ。

僕はというと、その板時代に抱いたひねくれをそのままラップして心の奥に押し込んだわけなので、結果小さいしこりは残った。

 

そしてまたタピオカを見て

井口裕香さん…

と思えばこそ、ひねくれきれない部分もあり

気づけば井口裕香さんは僕の「タピオカひねくれリミッター」となっていた。

このように自分がかっこつけるためになんとなくタピオカを否定しない設定をしてしまった状況から

 

このなんともいえない気持ちも含めて

僕はやっぱりこれらのチャラついた文化と

これからもなんらかの折り合いをつけながら

謎の付き合いをしていくことになるだろう。

 

結果何が言いたいかと言うと

うんこ

 

僕なんかの日常より

井口裕香さんの日常を見てうっとりする方が、よっぽど精神衛生上良い。

ということだ