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JOHNNYPARKというバンドでvo、たまにdjやります。現在は新潟在住

寅さん

僕はラジオが好きだ

今ほど身の回りが充実していない小中学の頃はFMラジオで音楽を楽しんでいたが、段々と音楽よりトークを聴くことが好きになり芸人さんのラジオを聴くように。

 

数年前は声優さんのラジオばかり聴いていたり、ラジオ風のYouTubeを色々聴いたりとしたこともあったが、現在はまた芸人さんのラジオを聴いている。

 

伊集院さん、有吉さん、ハライチ、山里さんの四つを聴いている。

 

ラジオへの愛に関しては今回はここまでとして、その中のハライチのラジオで岩井さんが「寅さん」の話をしていて、自分も寅さんについて思うところがあったので興味を持った。

 

岩井さんは男はつらいよシリーズを見たことがないのにもかかわらず、放映中の映画を観に行ったという話で、結論には「感動した」などと寅さんを否定しきらずしっかりと笑いにして終わっており、さすがだなあ…と感嘆したものだが、話の内容そのものは

 

寅さんという「ダサかっこいい男」像が

現代の我々世代からするとかなりズレているように見える。

 

というもので、自分もそこに頷いた。

 

僕は「男はつらいよ」が好きだ。

好きだと言っていいほどのファンではないし、全ては見ていないが、見た何作かのお話そのものや、寅さんの女々しさと言い回しがとても素敵だった。

 

だが、寅さんがかっこいいとは思えない。

寅さん=かっこいい

の思想を持っていそうな人間と仲良くなれるとは思えない。

 

僕ら

と括っていいものか不安ではあるが、僕くらいの年齢の世代は

「昭和の男らしさ」に痛いほどいじめられ、

「平成男子のスカシ」にも馴染めず

結局変なところハイブリッドされて生まれた気持ちの悪い世代だと思っている。

 

僕が小中学生の時代のマンガやドラマでは

「個性を潰すな!右ならえの人生なんてつまらない!」

と高らかに歌うものが多く

かたや田舎だったので周りの大人は

「みんなこうしてるんだからお前もこうしろ」

と言う。

 

どちらが魅力的に映るかは明白だった。

不良も嫌いだった。不良は不良で不良の型にハマっていたので1番ダサいと思っていた。

 

寅さんに対して現代の視聴者は

「クズ」「かっこよさがわからない」

というが、僕はそうは思わない。

 

寅さんそのものは

階級社会を嫌い、フーテンとして暮らす

これは社会の束縛、右ならえへのアンチテーゼでもあり、むしろ僕らの学生時代に良しとされた風潮なのではないか?

さらに寅さんはその他にはない魅力でたくさんの女性と恋に落ちる。

何もしないでハーレム作って誰も選ばないラノベの主人公より「クズ」だろうか?

 

そうも思ったりしてかなり肯定的な気持ちになったがすぐ撤回した。

ここで問題になってくるのが当の寅さんだ。

 

寅さんは社会へのアンチテーゼを持ちながら、

人の心にズカズカと入り文句を言ってくる

 

1番厄介なタイプのオタクのような存在だった

 

僕が寅さんを嫌いなのはここだ

1番人から外れているのに、人に文句を言いまくる。自分の正解を押しつけまくる。

「昭和の男らしさ」の功罪である。

 

何より嫌なのが

寅さん=素敵 の価値観の奴ほど

「バンドをやる」

という僕に対し冷ややかな言葉を浴びせてきたということだ。

 

お前テキ屋で住所不定のおっさん尊敬してたよね?

 

こいつらは寅さんの何に惚れたのか

寅さんのことが嫌いな僕の方が

よほど寅さんのこと考えているんじゃないか

ふざけんな

 

 

そんなわけで僕は寅さんが嫌いだ。

昭和が作り出した理不尽な男らしさ

周りの老害を思い出す胸糞の悪さ

 

けど男はつらいよを見て

結果泣いてしまうわけだ

 

オススメです。

 

寿司の声を聞け

色々考えていることがある。

とても嬉しいことだ。羨ましくもある。

今鬱鬱としたバイタリティとは裏腹に気持ちだけは何かの膜を破って出てきそうな予兆だけざわざわとある。

 

ただそれを言語化してここに発してしまったら、またそれで終わってしまうことが怖いので言葉にはしない。

 

1つ言えるとすれば「僕だって」ってところだ。

 

会社も変革期で今かなりざわついているため、とにかく気持ちだけ保ちたい。

 

 

さて数日前のこと

テレビを観ていると色んな地域のご当地グルメを美味そうに紹介するという番組が放送されていた。

夕食どきの民放のバラエティ

つまらなくてもよかった

数人で夕飯を食べながらゆっくりテレビを観ている状態で攻め攻めなお笑いや企画など見たくはない。なんとなく観れるんだからグルメ、クイズ、健康番組くらいでちょうどいいのだ。世間一般的に。

 

これでまだ足りない

というならその時間あなたは自分で観たい動画などを探してその時間流せばいい。

 

面白いかどうかは置いておいて妥当だと思う。

 

僕はそんなふうに

ナナメに観る人を想像してはさらにナナメに見て、さらにそんな自分すらもナナメに見て最終的は天井の隅辺りに魂ごとへばりついていることが多い。

 

この日も天井の隅から楽しくテレビを斜に構えてご覧になっていたところ、新潟県湯沢市の美味そうな寿司が紹介された。

 

その日の夕食は自作のカレーだった。

ゴボウを使って胡麻坦々風のベースにルウを作ぅたもので、正直かなりの力作だったし自画自賛するほど美味かった。

 

なのに僕の脳みそは寿司に支配され

天井の隅にいた魂もまた寿司によって身体に戻ってきた。

 

この時寿司による洗脳を受けた

脳は寿司を崇め、寿司にひれ伏し、寿司の声を待ち、寿司に懺悔した。

そして寿司は僕の口にその力を施した。

 

寿司の口になって今日で2日目

シラフ(寿司なし)ではいられない状況が続いた

何を食べても「寿司以上が以下か」でしか考えられなくなっていた。

 

僕の中にある寿司への潜在意識がメディアによって引き出された。

屈辱的だ。僕は小市民だ。

恥ずかしながらメディア寿司に負けた。

今度の休みに寿司を食う

その目標が果たされるまで僕は悩まされるだろう。

 

寿司が僕を呼ぶ

寿司の声を聞け

ただ寿司を待つ

ドロヘドロとビレバン男子

仕事やらそれ以外の諸々がカオスに入り乱れたこの1週間。ツイートもブログもアニメも急に見るのも嫌になり、何も考えずに合間の時間はずっとラジオを聴きながらアイドルマスターシャイニーカラーズをして過ごす。これに没頭することで現実逃避していた。

 

心が完全に無で、何にも心が動かず

ただただアイドルを育ててはその内容に落胆し、ガチャを回し結果に落胆し、クソを漏らし落胆したりとを繰り返した。

 

そんな中無常に今期もアニメがスタートしていた。ここ1年の僕はすっかりアニメを見る本数も減ってしまい、なかなか観る気持ちになれないでいたのだが、今期は「ドロヘドロ」がついにアニメ化され放送が始まるとのことだ。

 

鬱屈した気持ちはあるが、

ドロヘドロと聞いて思い出すことがあった

 

中学卒業目前の頃

誰かと違うものに憧れまくるサブカル男子予備軍ながら、読んでいる漫画は少年ジャンプ・マガジンばかりだった僕に家庭教師の先生が一冊の見慣れない漫画をくれた。

 

「俺の人生のバイブルだ。気に入ったら続き買って読んでみてくれ」

クサい台詞とともに手渡されたのは

鉄コン筋クリート だった。

 

サブカル大学生がサブカル男子予備軍に、サブカルの入り口を作った瞬間だった。

拗らせの扉がこの時開いた。

 

鉄コン筋クリートをかわきりに

僕は松本大洋をはじめとする「サブカルウケ漫画」ばかりに興味を持ち、あまつさえそれこそが至高でそれ以外はダサいとまで思うようになった。

 

このように、これでもかとこじらせていった学生にこの出会いは必然だったとでも言うように、高校生時代はヴィレッジヴァンガードに入り浸った。テンプレートかのようにビレバンに入り浸った僕は、やはりあの黄色いポップに導かれるままにサブカルウケな漫画達を手に取った。

 

そこで出会ったのがドロヘドロだった。

 

その重厚なパッケージと特大コミックという一冊の金額にビビったお小遣い月2000円だった僕にしてみると買うことはできなかったが、ビッグコミックIKKI掲載のマンガ達は僕たちサブカル高校生男子の心を鷲掴みしにしていった。

 

そして数年が経ち僕は茅ヶ崎へ移り住み、バンド活動に明け暮れ、大学を卒業した。

今思えばもっとこの頃マンガとかゲームとかやっておけばよかったかもな…真面目に音楽ばかりやっていたな

 

卒業した僕はもう一年茅ヶ崎に住んでいた。

月1回のペースで仲の良い後輩だった若と2人でスーパー銭湯へ行き、その後その若の家でひたすらダラダラして帰るという流れがあった。

 

そんなある日、

僕は翌日何も予定が無かったのでいつものように若とスーパー銭湯入ったあと、なんの目的も意味もなく泊まることにした。

 

たぶん寂しかったのだと思う。

ひとしきりくだらない会話に花を咲かせた後に眠りにつく。このくだらない会話の延長に「ピシャーチャ」などが生まれた気がする。

 

朝起きると

若は1Pプレイのゲームをずっとやっており、また当時はスマホも無かったので本屋へ行くことにした。

「今日はマンガを大人買いして読み、若にも読ませて共通の話題にしよう」

 

そう思って本屋へ行った。

僕は思い出した。

あの高校生時代に憧れたドロヘドロ

読むのは今なのでは?

その時急に昔の気持ちを思い出し、そこそこな金額で出ている巻まで大人買いだ。

 

ドロヘドロは、この時若の家でモラトリアムのような時間の中で読みふけった思い出がとてもある。その当時彼と一緒にバンドをやるなんて思いもしなかったが、そんなドロヘドロがアニメ化するっていうのは個人的にしみじみする部分があるということだ。

 

ドロヘドロのアニメを1話見て

その作り込まれたカオティックな仕上がりに感動し、また作品に忠実な内容に熱くなり、またマンガを読みたくなった。

 

どこまでアニメ化するのかわからないが、この先も楽しみである。

 

進めば進むほどわけわかんなくなると思うけど、それすらも再び楽しみたい。

若はコロナウイルスから逃れることができるのか。それも祈りたい。

 

それが ドロヘドロ

陶芸

奥さんの元職場の女性の先輩が新潟に遊びに来るという。奥さんは旅館をおさえて一緒に泊まるというので、僕はその日1人で気ままに過ごそうかなどと考えていた。

 

しかし

「旅館のご飯も美味しそうだし、先輩もせっかくだしと言っているから一緒にどう?」

先輩は昨年にも新潟に来てくれていて、その際に手厚く対応したのもあり、また立場上その形を快く提案してくれた。

 

そんな話になり、部屋内にしきりもあるのでと一緒に泊まることになった。

温泉旅館ではめずらしく大浴場にドライサウナがあるという設備もまた僕の足を前に進ませる要因になった。

 

旅館はとても過ごしやすく、サウナも客入りの割に空いており、先輩もまたコミュ力のとても高い方なので久しぶりにリフレッシュさせてもらった。さて翌日は新潟を観光、そのようなスケジュールだ。

 

 

奥さんにスケジュールを聞くと

「陶芸教室に申し込んである」

とのこと。

 

僕の心には暗雲が立ち込めた。

僕は発想力には自信があるが、手先は不器用だ。恥をかきたくなかった。

 

僕は陶芸からすぐに連想した

 

古風な公房で作務衣を着た老人が、申し込んだ2〜3組を相手に「素人には一聞で理解不可能な説明」をした後ろくろを回させる。

 

地方の老人には口が悪く、なぜか自分ができることを他人ができないと喜び、横柄にそれを笑い、晒しあげる人が一定数いる。

こういう奴が違法なエロ動画の架空請求に騙されるのだと信じたい。

 

職人は擦り寄り上手な女性参加者に付きっきりでろくなアドバイスはくれず、僕みたいな不器用男性はテレビの芸人のようにすぐにグシャアッ…となり、職人はそれを「だからこうしちゃダメだと言ったろうに」と叱責した上晒し者にしガハハと笑う。

 

そんな絵が一瞬で頭に浮かび、憂鬱になった。

 

 

旅館のチェックアウトを済ませた頃

陶芸の予約まであまり時間がなく、道路の状況によっては遅刻の可能性が高かった。

僕は戦慄した。

もし陶芸の職人が想像通りの老人ならば、このこともいじってくるに違いない。

 

トイレも我慢して急いで現地へと向かうことにした。しかし道は混雑し、数分の遅れは確定した状態で近づいていった。

 

到着すると、想像とは大きく違う「アトリエ」がそこにはあった。

 

職人さんは30代の優しげな男性で、作務衣ではなくオーシバルのボーダーカットソーに白いエプロンをしたオシャレな方だった。

店内は若者が通うカフェのようにナチュラルでお洒落な空気。おだやかで優しく、僕の想像とここでも大きい乖離を見せた。

 

僕は自分の想像に別れを告げ、心の中で想像した内容に関して申し訳なく思った。

僕は皿を作りたかったが、皿は陶芸体験としては簡単すぎるとのことで、今回はどんぶりを作ることに。

 

陶芸体験がスタートすると職人さんがガイドしながら教えてくれるため、テレビの芸人のようにグシャアッ…となることはまずなかった。

むしろグシャアッ…とする方が難しい気がした。テレビの演出になんとなく不信感を感じつつ、また難しさもしっかり感じつつ、僕のどんぶりは無事完成。

 

数ヶ月後に焼き上がるのだが、素敵な空間で初めての陶芸をできたことを嬉しく思った。

俗世にはまだまだ楽しいことがあるな

そう思った休日だった。

 

 

エレクトロニカについて

最近YouTubeのおすすめ欄がカオティックになってきた。あれって僕の趣味を理解してサッと好きそうな動画を紹介してくれるシステムかと思っていたんだが、「あー。これの関連動画はいらないんだがな…」と思うようなものも差し込まれてくるのでかなり参っている。

 

 

もう1週間も前のことになるが

東京に行っていた2日目、信頼する後輩が主催するDJイベントに出演してきた。

そのDJイベントというのが

エレクトロニカ

を中心に流すという趣旨のイベントだった。

 

エレクトロニカというジャンルはかなり説明に困るもので

ロックで言えばオルタナティブ

くらい掴みどころがない。

 

なんとなくのガイドラインはあるが、

iTunesエレクトロニカのプレイリストを開くとエレクトロニカ好きな人たちが聴くような楽曲は無かったりする。

 

それなのに今回のイベントに集まったDJ達にはある程度の共通認識があった。

イベントに出演したDJ達は僕も含めて多岐にわたる手法や世界観を持ちながら、ある程度のラインで

「これこれ!これが聴きたかったんだよ」

という瞬間をもたらし、そのたびに

 

「よしエレクトロニカ好きにとってこの曲はアンセムと言ってもいいんだな…」

と安心したりそれが外れたりと発見も多く

何よりソファに座ってひたすらに

 

「なんの曲かはおいておいて気持ちいい」

 

それが許される空間

「何の曲がかかるか」を取り沙汰されがちな現場とは切り離された、しかしラウンジ過ぎない丁度いい異物感。最高でしかない。

 

しっかりとこれだ!という時にはフロアに人が集まり、エレクトロニカのなんたるかを共感し合う。

 

ただ逆を言えば、間口が広いくせしてエレクトロニカ好きにはある程度の踏み絵が存在するとも言える。

それでも楽曲単位で何をエレクトロニカとするかはリスナー次第でもあり、僕にもそれは確かに存在する。

 

 

僕がエレクトロニカという言葉と出会ったのは高校生の頃だった。

RadioheadのCDのライナーノーツに

エレクトロニカも取り入れた実験作」

という言葉を見つけ、そこで知った。

 

僕は中学生までビートマニアに没頭していたので、クラブミュージックのジャンルに関してはなんとなく知っていたけれどエレクトロニカというジャンルには聴き馴染みがなかったのを覚えている。

 

そこでなんとなく

「踊るための音楽ではなさそうだ」

と感じ、さらには「実験」というワードに引っ張られてとてもアバンギャルドなものだという印象を勝手に持ち、「怖い…」と思い当時近寄ることをしなかった

 

全く同じ理由で最初ゆらゆら帝国を怖がっていてライブ映像を見るまで聴くことを恐れていた。

また、実はこの頃ムームフジロック で見ていたのだが、それもまたエレクトロニカとしてではなくロックとして好きだった。

 

その後何年も経ち

アパレル雑貨の販売をしていた頃。

副店長だった僕は好きに店内のBGMを決められる立場にあった。耳障りが悪くない程度のロック楽曲を流し、たまに美容室で流れるハウスも流すようになった。

 

そんな折、遅番で僕が出勤すると音楽好きなアルバイトの後輩が選曲して店内BGMを流していた。それこそが今認識するエレクトロニカだった。当時僕が愛好していたUSインディやポストロックの雰囲気もありながら、しかしながら電子音を軸とした音楽だった。

 

僕は恥も外聞もなく、後輩のiPadの音源が欲しいと懇願し、それからというものエレクトロニカ(当時はそれがエレクトロニカだとは気づいていない)を好んで聴くようになったのだった。

 

ほどなくして自分でも同じような音楽を掘っていくことに熱心になる。そうするとそれがエレクトロニカであることがわかった。

Telefon Tel AvivRei Harakami、Opiate

とにかく好きだった…

 

僕の過去と現在のエレクトロニカがここでやっと交わった。

 

僕はエレクトロニカというジャンルに

多方面から近づいては触らず、なんなら少し触っていながらそれに気づかずにいたのだ。

 

のめりこめばこむほど

多岐のエレクトロニカに手を出し

1人でいる時は、エレクトロニカやミニマルなインディミュージックばかりを聴くようになった。

 

外堀から外堀からエレクトロニカを知った自分としてエレクトロニカ電子音楽だけどダンスミュージックではない、なんとも掴みどころのない音楽で、そこもまた愛せる。

 

エレクトロニカは自分の歴史の中でもとても異色な入り方をしたジャンルで、まさかオタク繋がりからエレクトロニカを流せる日がくるなんて…と感慨深い気持ち。

 

また機会あったら頑張ります

 

 

 

ただいま東京

僕は新潟県で生まれ、高校生までは新潟で過ごした。その後大学へ通うために神奈川県茅ケ崎へ越し、卒業後は東京へと移住していった。

 

高校時代に大きな趣味嗜好の下地はできていたが気づけば12年ほど神奈川~東京に住んでいたし、正直そこで受けたイメージや経験が大きいので…

気づいたら「地元愛」のようなものが欠如していった。

 

勿論新潟の良いところは知っている。

ごはんも美味い。新潟の酒も好きだ。

しかし「地元愛」は無い。

 

友達が少ないということもあるが、自然も好きだし繊細で他人からストレスを受けやすい僕としては電車よりも車移動が断然好きだ。

たぶん僕は「ムラ」が嫌いなのだ。

 

地方の、それも実家となればある程度のしがらみが存在する。温かみや縁という名の侵害がある。

 

僕は都会の娯楽にはまあ住むほどでは無いかと思ってはいるが、

「地方の開放的な自然の中のムラにある窮屈さ」

 

この不条理から「地元最高!」にヘイトが沸いてしまう。東京はドライかもしれないが、その分自分で趣味の合う世界を見つけられたりと自分で選べるので、その点でとても良い。

あとラーメンとカレーが美味い。

 

それか地方都市の絶妙な都会と田舎の中間みたいなところに住みたい。

 

そんな思いが強かったせいか

今回久しぶりに仲間たちと酒を飲んだり、馬鹿話に花を咲かせるのも今まで以上に楽しく感じた。

 

去年くらいまでは楽しそうなみんなに劣等感や疎外感ばかり感じていたんだが、ここ最近どうでもよくなってただただ幸せだったりする。

 

新潟から発信できるものも少なく、そこまで極めるほどのモチベーションも無いのだが、何かに繋がればと思いDJも続けている。キャンプもそうだし、このブログもそうかもしれない。

だからこそこうして機会が生まれてまたみんなとわいわいできる。これはただ東京へ行くよりも自分を納得させられる。

 

そんな部分をモチベーションに今日も生きています。

 

 

そんなわけで久しぶりの東京を

久しぶりのラーメン二郎

久しぶりのカレーを存分に楽しんで

やすべえのつけ麺大盛りを頼んで惨めにそれを残し、メンバーに片付けてもらい、

イベントの後「まだまだ飲みましょう」と言いながら最初に寝落ちし、

そんな惨めな姿を晒せる場所もなかなかないのだ。

 

そんなこんなでまた遊びに行くのを楽しみにしている。次は何をしようかな

カレー屋巡りかな

 

おはよう重力

僕は集中することが苦手だ。

厳密に言えば

集中しようと思ってすることが苦手だ。

 

「先送り症候群」なんていうものもあるが、自分はまさにそうであるし、これが自分が好きな物事にも表れてしまうことが悲しいところだ。

 

なので今までもバンドで作詞作曲、フライヤーやジャケットのデザインをする時などなんとなくの締切がフワッとしたものに関しては鉄を熱いうちに打ち、メンバーから「仕事が速い」と褒めてもらえるくらいには気持ちが熱いうちに睡眠を削って一気に作るように心がけてきた。

 

しかし現在、

家庭環境や先日も書いたウインターブルーも相まってなかなか進みが悪い。

 

何に対しても自分が好きで行っている文化的内容に関しては、好きでやっているのだからこそある一定のタイミングまでに奮い立たせて間に合わせることをポリシーにしてきたが、今回ばかりは追い込まれている。

 

というのも

今度の週末に東京へ行くことになっている。

親愛なる後輩が企画するイベントにDJ出演する予定があるからだ。

 

元々DJ活動そのものは6年前、アニメ好きが高じてスタートした。後輩に関してもその流れで一緒にDJをやってみないかと誘ってからコンスタントに出演してきたのだが…

 

新潟へと移住し結婚してからのここ最近は嗜好も変わり、アニメも1人で楽しみ1人で噛み締めることが増えてきたせいか、

普段も所謂アニソンの「元気さ」を一人で受け止めきれなくなってきたので、アニソン単体で聴くことが減ってきていた。

そんな嗜好もあって自分が選曲する上でも

ある程度リスニングに適した空気感のあるミックスをプレイできる場で、アニメ好きのセンテンスを少し匂わせるような方に気持ちが寄っている。

 

そんな僕にも数少ない友達がイベントに誘ってくれるのでDJとして細々とだが息をしていられるのだが、

今回は1月12日に東京で、

エレクトロニカという音楽ジャンル中心のDJイベントに誘ってもらったのでその準備をしていたのだ。

 

DJというのはその名の通り

「その場にいる人々が求めている音楽を、気持ち良い流れで繋いで満足感を演出する人」

なわけで、とどのつまり現地で集まっている人々を見て選曲するのが理想的なのだが

 

僕は即興で満足なプレイができる技術がないので、またそこまで現場に追われていないので、

「その分その場で選曲できる余地も若干残しつつ作り込んでいく」

というやり方をしている。

 

とはいえそのやり方で失敗したと思うこともここ近年は無いので、当面はこのやり方でやっていこうと思っている。

 

今回はかなり切羽詰まっている。

いつも作品として1ミックス作る気持ちでやっているが全く降りてこない。

直感や積み重ねではなくあらすじで作っていく派なので、軸が見つからないとなかなか動けない。

 

そんなこんなで

1/2〜1/6までの間、20時間くらいは卓の前にいたが完全に甘いじりして

「降りてくるの待ち」

の状態が続いた。

 

いざ検尿なのに催さない時と同じくらい焦っていた。

 

降りてくるとアドレナリンが

どばーーーーーっと出てきて、

何も手につかないくらい没頭できるのに全然降りてこない。

シャニマスばっかりやっちゃう。

 

そんな切羽詰まった僕が、なんとなくプレイリストを探っているとある曲に目が留まった。

 

Landau というアーティストの

Good Mornng Gravityという曲だ。

 

インストゥルメンタルエレクトロニカだが

タイトルと曲調から

「これ…私だ…」

 

と思った。

 

インストゥルメンタルの楽曲で

「これ私だ…」

となった数少ない例だろう。

 

爽やかで重く、

ごちゃごちゃとしてスタイリッシュなダルさ

こういうこじ付け的発想をする時が

「降りてきたモード」の始まり

軸も決まったしここから頑張ろう

 

降りてくるのが遅すぎたので間に合うかは正直わからないが、最高にダウナーであたたかいエレクトロニカセットになると思うのでお楽しみに。

 

以上