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JOHNNYPARKというバンドでvo、たまにdjやります。現在は新潟在住

👅 〜カレー馬鹿舌脱却編〜

僕はカレーが好きだ。

もはやいまの時世にカレーとラーメンに関してはこう発言することすら恥ずかしさを覚えるのだが、実際カレーとラーメンだけでほぼほぼ生活が事足りるくらいに好きだ。

極論すれば自分で料理することも加えると現在はカレーの方にウェイトがあると思ってもいいかもしれない。

 

しかし僕は元々ここまでカレーに思い入れがあったわけではなかった。ラーメンはともかく自分にとってのカレーの立ち位置は明らかに今日までで大きい変化があったのだ。

 

カレーとの出会いに関して

ほとんどの人が自宅の夕食に出てくるカレー、もしくは給食がファーストインプレッションだと思う。無論僕も「おうちカレー」が最初の出会いだった。一般的な肉じゃがの工程の途中で水を入れルウを溶かし、カレーに変化させた形のごくごくシンプルなもので、肉とルウの種類が若干変わる程度のマイナーチェンジで数十年それが続いたが、それでも家の夕食メニューでもとりわけ好きなメニューだった。

 

しかしこの「おうちカレー」の立ち位置はそこからつい数年前までそこまで変化することはなかった。

 

僕の実家では外食でカレーを食べるということは基本なく、食べる機会があったとしてスキー場のフードコートや、ユースホステル等の宿泊施設で昼食に出てくるカレー程度だった。

大学に出てからはインドカレーやカレー屋さんのカレーも食べる機会が増えた。

 

どれも好きだったし、

どれも美味しかった。

美味しい時は

「これうんめ」

と方言混じりに声に出したものだ。

 

しかしここまでの美味い美味くないは

実のところ当時の僕の舌には全てマイナーチェンジの域くらいの変化しか感じておらず、

「おお、これ美味い!」

と発することはあっても、あくまでおうちカレーを軸にした多少の変化としてしか認識できていなかった。

 

ようは僕はカレーに関しては

特に馬鹿舌だったのだ。

 

しかしそんなカレー馬鹿舌だった僕も、

今ではカレーを食べて頷きながらああでもないこうでもないと講釈を垂れるようになった。

そうなったのは脱サラしてバンドメインにフリーターを3年やって、その後お茶の水にある専門学校に通い始めた時だった。

 

カレーに関してはかなり遅咲きだった。

 

通い始めた頃は周辺のラーメン屋に心奪われた。人生で初めてらーめん二郎が活動圏内に現れたのだ。これには心躍り、そこそこな頻度で足を運んだ。

周辺のラーメン屋さんもそこそこ行き尽くした頃、街を歩いているとカレー屋がやたらと目についた。御茶ノ水〜神保町にはたくさんのカレー屋さんがあり、食べログ3.7クラスの名店がひしめき合っているというのは恥ずかしながらその後調べて知った。

 

ある日一念発起し、

神保町でも歴史と知名度の高い3店舗に足を運ぶことにした。

 

ボンディ

スマトラカレー共栄堂

エチオピア

 

だった。

この3店舗へ行ってから僕の中のカレーの認識は180度変わってしまった。正直馬鹿みたいに美味かったし、何よりここにきて「味の違い」みたいなものを過敏に感じた。

急速にカレーの舌が肥えていく音がした。

 

まずはボンディに足を運んだ

一見定石通りの欧風カレーなのに、

フルーティでスパイシーで

初めて食べた時には

ミスター味っ子味皇様のように

「うー!まー!いー!ぞぉぉぉぉ!」

と言ってしまうくらい明瞭に美味かった。

店内にはたくさんの味皇が点在した。

 

エチオピアはとにかくスパイシーだった。クローヴが効いていて、ほぼスパイスによる風味のみで味が薄いため、卓上の塩で自分で味を調整する。スパイスの味や良さというのはここで知った。

何よりエチオピアは専門学校から1番近く、専門学校が終わった時間でも営業しており、サラリーマンばかりでカウンターがそこそこ空いているのでボロ雑巾のように疲れた単身三十路学生にはオアシスだった。

 

そしてスマトラカレー共栄堂だ。

ここはホールのおばさんの案内がとにかくスムーズで、相席などを駆使してたくさんの単身男性客を捌いていく。提供も恐ろしいほど速く、店舗滞在時間は本当15分くらいか…1人で行って無駄にゆっくり過ごした記憶が無い。

 

それもさることながら、カレーを初めて食べた時は独特の苦味に驚いた。想像とは少し違う独特なカレー。

しかしその後、これが中毒みたいになって今では1番好きなカレーだったりする。

 

それから家でもいろんな店のカレーの再現を試すようになった。

完全にカレーにハマったし、神保町の名店にも多数足を運んだ。

 

 

新潟に帰ると丁度そのタイミングで

新潟には大阪から来たスパイスカレーというものが流行し始めていた。

最初はインスタ女子向けの洒落臭いカレーだと思っていたが、行ってみて驚いた。

まだまだカレーには無限の可能性があるのかと思った。

 

より家でカレーを作る機会が増えた。

 

 

そんなわけで気づいた。

家にスパイスと玉ねぎだけ常備していれば、常にどんな時もカレー作れるのでは?

そして実際にこの三ヶ日も正月に余った食材でカレー味のパスタを作ったりして、僕は最強の環境を作り上げてしまった。

 

僕はカレーに守られた日常を手にした。

 

かつて舌が目覚める前に行ったカレー屋さんにも再訪したいと思っている。

週末に東京へ行ったら幡ヶ谷のあの、

上着を届けてくれたカレー屋さんにまた行きたいと思う。

 

イヤホンすぐなくす

 

小学校高学年くらいのころから

寝るときにはラジオを流していないと寝られなかった。

生活音や自然音が気になったり、余計なことを考えてしまい寝付けないのだ。

無音が苦手だった。

ラジオの種類はあまり問わず、一度聞いたことがある回でもよい。

楽曲が流れると情報量が増えるので余計なことを考えるフェーズに移行するので無理だ。ましてや小学生の時点で手元にある音楽というのは得てしてポップスだ。ポップス聴きながら寝ることは個人的に難しかった。

ラジオで男性が低いトーンでトークしている物自体が僕には心地よかった。

 

今も寝るときはできるならばラジオを聞きたい。

ラジオじゃなくとも男性が一定のトーンでトークしている音源なら基本的には良い。

勿論ある一定の質は必要だが。

(一時期知名度ゼロの素人がやっているポッドキャスト聴きながら寝てた頃もあった)

 

そんなことが影響してか

僕は一人でいるとき、何か聴いていないと不安になるという病気になった。

外出中に聴くものに関して言えばラジオである必要はないので音楽を聴くことが多くなった。そうなった場合に必ず付き合うことになるのがイヤホンである。ここでやっとタイトルにある「イヤホン」が登場した。

 

一人でどこかに出かける際

イヤホンを耳にあてて音楽等を聴くことは一般的に当たり前のことで

コンビニ等で買い物をする際にもできるならばイヤホンを外さずにやり過ごしたいという気持ちがありながら、何か言われることがあり仕方なく外したりするものだ。

ただ僕の場合はそこへの執着が強い。 

 

30年以上生きてきて

僕はいいたいいくつのイヤホンを使ってきただろう

そう考えるとゆうに数十個はイヤホンをとっかえひっかえしている。

ここ3~4年だけでも5.6個は買い替えているくらいに回転が速い。

上にも書いた通り、僕はイヤホンへの執着が強く

イヤホンを忘れたことに気づいたりしたとき、 出先で適当なイヤホンを買ってでも聴きたい気持ちになってしまう。病気の発作のようなものかもしれない。

そこに加えて僕は物忘れが多い。言うまでもなく病気だがその正式名称はここでは伏せておきたい。

 

僕はモノをなくすことが多い。

出先のトイレやどこかしらに忘れて行ってしまう。

ライブ出演時など一番大変だ。

それこそギターとアンプをつなぐケーブル(シールド)を何個そのせいで買い替えたかもわからない。

ライブのリハーサル後に近くのカレー屋へ行って、そこに上着を忘れてしまい、後でそのカレー屋のおばちゃんがわざわざライブハウスまで届けに来てくれたこともある。

そんな僕なのだから、イヤホンのようなサイズ感のものは無論何度もなくすことになった。

 

断線も多い

踏んでしまったり、バッグの金具に引っ掛けた状態で引っ張ってしまい断線することもある。僕のような性格の人間は、購入時の保証書などもなくしてしまう。なにより「どうせ1年以上使うだろうしな」と思って破棄してしまうこともあった。

さらにそのように思って箱にいれてしまっておくが、その場合断線ではなく紛失により買い替えとなることが多い。

結果僕は人生で、イヤホンを保証交換してもらったことがない。

 

そんなわけで僕はたくさんのイヤホンを葬ってきたが、

実はこないだの秋に3年使ったBluetoothイヤホンがしっかり天寿を全うした。

たぶん人生でイヤホンをしっかり寿命まで使ったのは初めてだった。

自分も少しは変われたかと、そんな風に思っている。

 

そしてその後

Bluetoothで完全ワイヤレスのイヤホンを購入した。

たまたま選んだ機種がとても良いものだったのかもしれないが、

ワイヤレス自体を当初「ダサい」とか「絶対なくすわ」と否定していた僕も、実際に使ってみると便利すぎて驚愕した

便利で音もいいし電池の持ちもいいし生活の邪魔をしない。さらに防水なので

 

もはや一日中している。

 

まだ紛失はしていないが、現在は細心の注意をはらっているので

これを紛失した時、僕の心は奈落に落ちるだろう。

 

今年の僕の抱負は、

イヤホンを紛失しないこと

 

 

 

 

 

赤身肉を希望した父を許さない

年が明けた

どういうわけか未だ頭はぱっとせず、

なんだか一連のSNSを見てはもやもやとした気持ちになったり、こんなにだらだらと過ごしていいものかと不安になったり、アイドルマスターシャイニーカラーズを手に取ってみたり、準決勝敗退前にAランクすら逃したりなどをして過ごしていた。

 

僕の住む家では以前に述べた通り、年末はほぼお笑い芸人さんが出る番組を見て過ごし

紅白歌合戦を見て、腐してみたり、感心してみたり

ごくごく一般家庭的に過ごしていた。

 

年末になると

基本的にはおせち料理をつくるものだが、

我が家ではいつもおせち料理に加えて

寿司やステーキ、エビフライなどの追加のパンチのあるメニューを用意する傾向があり、本来正月にのみ主役を張ることができるはずの料理たちが、

アベンジャーズのごとく集まった強キャラ達にセンターを譲っている様が見えてくる程に、テーブル上はカオス他ならない状況になるのだ。

昨年はそれに気おされるように食材はあまり、3日間ほど残ったおせちを食う羽目になった。

 

そうなった場合に寿司もステーキもめでたい席で食うには格好の品であるので

無理におせち料理を作る必要もないなと僕は考え、そして提案した。

家庭内でのもっともなご意見に、今までのやり方を変えることがとても苦手な両親世代も渋々受け入れた。

 

結果我が家では今年は

寿司を注文し、僕がステーキと茶碗蒸しを作り、

あとは頂き物のサツマイモがあるのでと、母親が栗きんとんだけ作ることになった。

 

準備もそこそこの12月30日

その日はいつも通りの夕食。

休みだった僕は奥さんの献立に則り夕食を作っていた。

そこに母親が帰宅。

手には何やら袋を持っていた。

親戚にもらったという。

 

あけてみると二尾の新鮮な真鯛が入っていた

僕と奥さんは驚愕した

おいおい明日のオペレーションに鯛を捌く時間などないぞと

まあしかしあまりにも新鮮で愛らしい真鯛なもので、

仕方なしに30日のうちに捌くことにした。

 

嫁いだり、上京した家族も含めて8人の食卓

二尾の鯛を楽しむには焼いたり刺身では少ないだろう。

そこでアラはお吸い物に、身は鯛めしにすることにした。

 

そして大晦日

僕は料理のために数ある出汁を取っていた

茶碗蒸し用の昆布、しいたけ、貝柱

お吸い物用の鯛、あご

翌朝の雑煮用の鮭、鳥

僕は完全に出汁取りマシーンと化していた

今どの出汁を要求されてもすぐに提供することができた

 

そんな出汁の総合デパートを決め込んでいると

母親が帰ってきた。

手には袋を持っていた。

 

あけてみると黒豆となます、大根のはりはり漬けだった

友人にいただいたという。

 

いや、これもうおせちのメンバーそろってきてるじゃん。。。

さすがにはりはり漬けもそのまま食らうわけにもいかず、松前漬けにした。

伊達巻こそないものの、ほぼほぼのレギュラーメンバーはそろっている。

 

アイマスのツアーの千秋楽くらいのメンバー量ではある。

僕は仕方なしにそれをおせち用の「おめでた容器」にそれを盛りつけ

おせちを完成させる運びとなった。

 

とはいえ今回は

若干名を招集しなかったおかげで思ったより苦戦とはならず、なんとか食べきることができた。

余談だが今回ステーキを作るうえで父親が「脂の少ない赤身がいい」と言い張るので、仕方なく牛ランプを使ったステーキとした。

結果年寄りが噛み切り易いよう薄めの切り口で切り分けたためローストビーフト近いものになってしまった。ステーキとして楽しみにしていた家族はおいしいとは言ってくれたが、ローストビーフとして食している様子。

 

父親も「これじゃローストビーフだな」と言いながら食べていた。

僕はこの言葉を忘れないだろう

そして、牛ランプのステーキは二度と焼かないと心に誓った。

 

 

とまあそんなこともありながら

晦日はどんなに考えて提供しても

母親という伏兵が取り締まりの網を抜けるように

「もらったから」という免罪符でおせち料理をぶち込んでくる。

これを今後も念頭に置いた上でのメンバー編成が必要なようだ。

 

来年の大晦日は無駄の無いメンバー編成にしたい。

 

赤身肉を希望した父を僕は許さない

おけさかときわか

僕はあまり船酔いしないタイプだ

そして牛歩のごとく進みの遅いフェリーという乗り物に関しても、割りかし好きの部類に入ると言っていい。

 

毎月どこかしらの月曜日

仕事の関係で佐渡島へ出張することになっているのだが、会社の上司達はこれを嫌がる傾向にある。

理由は簡単で上司達は船酔いしやすい体質のため、あまり船酔いしない僕にお鉢が回ってくるのだ。

 

佐渡島への出張の日は夜中の3時半に起床する。ほぼほぼ眠りも浅いままなんとか起床して家族も寝ている中いそいそと準備し出発。

4時半ごろにコンビニか吉野家くんだりで朝ご飯を食べ、5時には船室で良い場所をゲットするために待機列の先頭にキャリーカートを置く。

 

ここまでがルーティンだ。

フェリーの二等船室というのは広い絨毯のスペースに各々のモラルでもって場所を作っていくシステムになっているので、運がよければ快適、運が悪ければ甚だ不快。これはもはやギャンブルに近い。

上手くいけばコンセントがあるポジションを獲得できるが、上手くいかないことも考えられるのでモバイルバッテリーも持っていく。

 

佐渡島へ行き来するフェリーには2種類ある

ときわ丸

おけさ丸

 

ときわ丸は新しく、席の配分も素晴らしく場所取りもしやすい。

おけさ丸は古く、席のヘリが斜めだったり謎の作りなのでデッドスペースができやすく、無能な乗客が場所取りすると無駄が多く全然綺麗に埋まらない

 

僕はいつもこの

ときわ か おけさ か

のギャンブルに立ち向かわねばいけないのだ。

 

ここで1番腹が立つのが高齢な乗客だ。

特有の「パーソナルスペース侵害」という技で僕を苦しめてくる。

 

僕は1人で屋外で行動する時、基本気が立っていることが多い。1人で行動するのは好きだがかなりナイーヴなので、この1人で行動する環境に配慮の無さや集団で気が大きくなったことで侵害してくる者に、この世の憎悪の全てを込めたような面構えで嫌がってしまう。

これは音楽を作る上で歌詞にもよく登場するが、大学生などが陥りやすいサークル等の集団にいることで自分が何をやっても許されると勘違いしたような行動や、自分勝手を拗らせた老人、スーパーで距離を詰めてくるババアなど

僕は常に日常に潜むストレスに過敏で、ストレスを感じ安い。

しかしそんな中でも

本当になぜお年寄りはあんなにも僕が不快に感じる距離に陣取るのか?

 

そんなことを辛さのあまり呟いたところ

「君のこと好きなんじゃない?」

みたいなことをリプライしてきた人がいたが

僕は本気で嫌で呟いていたので無視した。

 

 

そしてこの席取りゲームで1番腹が立つのが

「コンセントポジションに陣取るのに、コンセントを使わない奴」

本当考えろよ

なんか書いてて腹立ってきたな

 

と、5時半の搭乗時間まで

このようなストレスを回避するために早めに陣取っているのだ。

 

つらつらとこのようなストレスについて書いたが、僕は基本片道2時間半かけて佐渡島を回り往復して帰るこの出張が好きだ。

 

普段の営業事務所に寄らず、

若干旅行気分で好きなスタンスで仕事できるというのもまた魅力だったりする。

 

なのにも関わらず、

「この出張は苦痛なものだ」

という社内認知のせいか、

「お疲れ様、大変だったね」

となぜか労っていただけるのだ。

僕は半分旅行気分とも言えず、いえいえと謙遜して見せるのだった。

 

旅行として佐渡島へ行ったことはないので

ちゃんと旅行もしてみたいが

また来年行くのを若干楽しみにしている。

 

ただ何度行っても

上記のストレスが消えることはないだろう

ただもし僕の心が広かったとして、

それが故に無い頓着からまた別の誰かにストレスを与えるのかもしれない。

 

そう考えると

ストレスを溜めながらでも、この性格でいたいと思った。

 

広い絨毯席に小さく蹲り、録音したラジオを聴きながら今日も社会を恨むのだった。

ウインターブルー

ついこの間の朝のこと

テレビではいつものごとく暮らしの情報について放送していた。なんとなくぼうっとした頭でそれに耳を傾けていると、冬の時期に陥りやすい現象で

ウィンターブルー

というものがあるらしい。

 

一見L'Arc-en-Cielの曲名かと錯覚してしまった自分もいるが、どうやらこの現象は茶化せるような代物ではないらしい。

ウインターフォールとダイブトゥブルーの息子かと錯覚してしまった自分もいるが、どうやらこの現象は茶化すタイプの代物ではない。

 

なぜかといえば、

僕こそがこのウインターブルー患者そのものなのだ。

 

ウインターブルー

それはいったいなんなのかというと

冬季うつ病

とも呼ばれるらしく、

内容としてはこのようなものになる。

 

人の体は太陽光を浴びることで、脳内でセロトニンというホルモンが作られます。セロトニンはアドレナリンの反対作用をし、セロトニンがしっかり分泌されることで睡眠が誘発されるほか、心地よさや幸福といった精神を安定させる作用があることから「幸せホルモン」とも言われています。
しかし日照時間が短くなる冬は、夏場と比べてセロトニンが作られにくくなり、睡眠のリズムも不規則になることから無気力や不安定な気持ちになりやすくなってしまうと考えられています。

 

出典:キナリノ-冬に意欲がわかないのは「ウインターブルー」かも?つらい冬のどんより気分を吹き飛ばす方法

 

たしかに12月に入ってからというもの

かなり睡眠欲や食欲に異常さが出ているということに気付いてはいた。

 

とはいえまだわからないだろう

自分を精神系の病気に当てはめてしまうというのは時に危険なこともある。

ではこのウインターブルーかどうかを判断するためのアンケートがあるのでこちらで確認してみたい。

 

・突然不安が強くなり、自己肯定感が生まれない

・やる気が出ず、無気力感が強くなる
・集中力がなくなり、普段の仕事や作業に支障が出る
・外出がおっくうになる
・日中でも強い眠気に襲われる
・他の季節と比べて炭水化物を多く摂っている

こちらの6つの項目に多く当てはまるほどウインターブルーの可能性が高いという。

 

せっかくなので僕も早速確認してみたところ

全て、すべからく、余すことなく、徹頭徹尾

完封で当てはまってしまった。

会社などのメンタルヘルス系のアンケートで面談などになるのが面倒臭くて甘めな回答をすることがよくあるが、こちらに関しては甘めに答えても全問該当してしまった。

この結果に呆然とし、天を仰いでさらなる深淵に堕ちていきたいところだが、なんとなくわかっていたことだ。

そもそもウインターブルーなどという言葉を使わずとも、このアンケートに当てはめずとも

何時間寝ても眠い、

やる気はとことんおきない、

しかし食欲は旺盛。

隠し用のない事実はそこにあり

すでに「それ」なのだ。ゆうべには骸なのだ。

 

そもそもこのブログをリスタートしたことも環境、精神を含め何をするにも億劫な状況からくるもので、前に進めない状況への不安な気持ちを解消するための「あがき」として決心したと言うのもある。

今までのブログのような形であれば億劫。

ではどうすれば続けられるか?

自分自身に譲歩に譲歩を重ねた結果が今。

つまり

このブログはウインターブルーと戦いから生まれた副産物なのだ。

 

再開したブログのスタンスとしては

主義主張や大きい出来事で話にパンチを出したいとは思っておらず

(まあ起きてしまったらせっかくだし流石に書くかもしれないけど)

理想は寝る前に布団に寝転びながらスマホで書き、そのまま勢いで投稿できたらよいなと。

できなければ明日昼間に加筆して完成させよう

くらいの考えで取り組んでいる。

 

実はこれがかなり大きくて

当時はアドレナリンどばどばの状態でこってりした文章を書き切り

「よし定期的にこれを量産するぞ!」

「次はこのテーマなんかもいいな」

と思い、いざの次の日機会にはその時の情熱に追いつかず、書くことを後回しにしてしまう。

力を入れれば入れるほど、見返りや反応も求めてしまい、書くことにハードルが生まれてしまうのだ。

だからこそ自分の欲に対しての譲歩。

 

文字以外の要素なし

サイズやフォント操作基本なし

スマホでストレス無く書ける範囲

ブログの大きいテーマは「エッセイ式」

仕上がり微妙でもまず投稿する

 

という

ブログでバシバシ稼いでいる人からしたらとても舐めきった内容。それでもライフワークとして続けるための譲歩。

それがどの時の自分にも対処可能な現実なのだ。

 

自分への高望みをやめ

身の丈にあったことを続ける

 

これはそのまま来年の抱負にしたいと思う。

 

1番重要なのはこのウインターブルーにどう対策を取るかになってくる。

勿論ネットでウインターブルーについて調べる以上はその対策も目にすることになるが

その改善方法のメインがこれだった。

 

・なるべく日光を浴びる

・寒いが頑張って少し早く起きて、なるべく日光を浴びる

・なるべく身体を動かす

 

これを見て愕然とした。

僕の住む新潟では冬は基本的に朝日が出ない。

 

基本12〜2月くらいまでは一日中曇天で、朝から家中電気が付いている。そして仕事中の昼間に少し晴れたりして、夕方には雨か雪が降る

今も外では横殴りの雨と暴風が吹いている。日光を浴びてセロトニンどころか、寒さに対応するのでいっぱいいっぱいだ。

絶望しかない。

 

絶望という名の地下鉄にI LOVE YOU

鼻唄まじりにさ…

 

冷静に考えると凄いダサい。

誰が物を言うかが重要だと気付かされた。

 

浅井氏の話は棚に閉まい、

やはり日光を浴びろ運動をしろ到底無理な話である。そもそもウインターブルーのやつに曇天真っ盛りの新潟で運動しろ

そんなことわかっている

しかし無理なものは無理。無理な話である。

 

全ての人が面倒くさいと思いながらも

そこに楽しみを見出し、はたまた健康やプロポーションのためにと発起して行っている運動にすら噛みつき始めた時また再確認した。

 

僕はクソ人間なのである。

 

運動すれば痩せるし

運動すれば健康だし

わかるのである

クソ人間なのである

食べなきゃ痩せる

わかるのである

知ってるのである

お金は使わなければ貯まる

わかるのである

ガシャを引かなければいい

わかるのである

 

新潟県からは歴史的漫画家が多数産まれているが、それは皆日光を浴びることができずウインターブルーとなったまま、グルグルと渦巻いたうちなるものを体力を使わずに表現していった結果なのかもしれない。

もしかしたら歴史的漫画家の皆様もクソ人間かもしれない。

 

もしかして

歴史的漫画家さんたちもクソ人間だということに仮定すれば、僕の罪悪感も和らぐのか?

そう考えることで僕はお猪口ほど残ったプライドを満たし、とても人様にはお見せできないような顔で笑う。

 

僕もまたクソ人間のまま

ウインターブルーに立ち向かうことせず

こうやって寝転がりながら文章を書き続けるのであった。

 

また御坂美琴に恋してる

それは10年前のことだった…

 

サブカルのクソを尽くし、

ロックかどうか、カッコいいかどうかの判断基準のみで判断するような盲目的な価値観を持ったまま、痛さの極みとも言える大学生活を終えた僕は、社会人になると同時にアパレル雑貨関係の販売業に就職した。

 

社会を舐めており、イキり切った状況のまま就職したため、厳しい店長にはよく叱咤を受け、常に禅問答とも思える説法を何度も受けることになり、終電を逃す日々だった。

 

PRIDEを打ち砕かれ、

FREEDOMとは対極的に萎縮し、

勝者じゃなく勇者を目指す余裕もなく、

ただただ精神を破壊されるほど自分と向き合わされて疲弊し切っていた。

ある意味でバーニング。

 

そんな日々の中、

画面の中ですら人を見たくない気持ちになっていた僕は、アニメを観ることで現実逃避するのがストレス発散の日課になりつつあった。

この期間が強く影響して深夜アニメにしっかりハマっていくこととなった。

(ちなみにこの頃まだJOHNNYPARKは結成前)

 

最初は音楽好きやアート好きが食いつくようなアニメばかり見ていたのだが、たまたま登録していた動画配信サイトの紹介からあるアニメを観ることになり、そこで1人のヒロインと出会った。

 

御坂美琴である。

 

御坂美琴への愛について

僕はこれまで各所でその胸中を語ってきた。

生活のパラメータ全てをバンドとアニメだけに全振りしていたあの頃と比べたら今は比較的穏やかかもしれないが、今でも自分の中でアニメ界初恋の相手なので想いはただならぬものであることは間違い無い。

 

僕がアニメを見る上で好きになるキャラクターのタイプにおける下地を作っているのは御坂美琴だと言ってもなんら間違いは無く、

まさに自分の中の根底に位置する

グリニッジ天文台のような存在だ

存在しないけど

 

 

それまでアニメキャラに恋をすることもなかった僕からすると、とてつもない衝撃だった。

出会った頃にはもう電撃文庫を牛耳るほどの人気ヒロインでスピンオフアニメすら放送され始めていた。

そんなタイミングに飛び込んだ僕は

御坂美琴が登場する「とあるシリーズ」を皮切りに、それ以外にもキャラ感のあるいわゆる王道深夜アニメをたくさん視聴していった。

 

数々のヒロインと出会い、

たくさん魅了されていった。

しかし

結果御坂美琴への愛は自分の想像を超えて強く、その後心震わされた数あるアニメに登場する魅力的なヒロインをもっても追随を許さない。

 

御坂美琴は僕の中の王座を譲らせない

しかしそこにはからくりがあった。

 

当時のライトノベル、アニメ界で絶大な支持を受けていた「とあるシリーズ」、

ツンデレというジャンルにおいてかなり黄金比を打ち立てると共に電撃文庫のヒロイン王座を欲しいままにしていた御坂美琴

 

こうなってくると

とんでもなく長編ながらも続編がアニメ化され続ける。本作アニメの続編、御坂美琴を主人公にしたスピンオフの続編が定期的なタイミングで放送されることになるのだ。

 

例えば1度アニメが最終回を迎え、少しの間他の作品のヒロインにうつつを抜かしている時、

心の中のメインヒロインルームから一旦御坂美琴が退くことになる。

それはアニメキャラに恋をするタイプの方ならわかっていただけるかもしれないが、

この座は定期的に入れ替わるものだ。

 

しかし

程なくしてその門に、お礼参りとばかりに再度道場破りを企てる者がいた。

「次回作製作決定」の手土産と共に

御坂美琴はまた僕の目の前に立ちはだかるのだ。

 

御坂美琴はレジェンドとして鎮座するタイプのヒロインなのだと思っていたが、それは大きな間違いだった。

常に道場破りして勝ち取っていくタイプのヒロインだったのだ。

 

先ほどから僕はずっと

「オタクの妄言」としてはかなりスタンダードなことをただただ吐いているが

とどのつまり

僕はこのとあるシリーズのスタッフの商戦略に

ただただ完全に踊らされる豚だった。

提供される御坂美琴という偶像を

恍惚とした表情で享受する様は

潔く混沌とした、綺麗で惨めな

「豚ざま」であった。

 

人気シリーズの人気ヒロインを好きになったことで、この10年間定期的に舞台に現れるたびに好きを再確認させてくれるというのはとてもありがたいことだ。

2020年から放送される

とある科学の超電磁砲T が決定し、

キャストの佐藤利奈さんと新井里美さんのラジオが7年ぶりに配信されたものを聴きながら

 

僕の頭の中には

「お前の2次元における本妻が誰なのか教えてやる」

と言わんばかりに、心の道場破りを謀る

御坂美琴が浮かんでおり

ことごとく毎回僕は心を奪われるのだった

 

 

 

つまり

定期的に心にある想いを想起させてくれるような存在、またはそんな活動をすることこそがファンからしても1番推しやすいということだ。

 

そう考えると

長渕剛のLINEは素晴らしい

という答えに行き着く。

 

告知は勿論だが、本来Twitter等の間口の広いツールで事足りるような生の声感のあるを定期的にファンに向けて送ってくれる。

少し忘れていた頃に急にプライベート感のある投稿で、僕たちに長渕剛の存在を思い出させてくれる。

 

長渕剛のLINEは告知したいことが多い時期はミュートしたいほどやかましく混沌としているが、僕が注目したいのは「告知することがもくすぐあるよ」という時などの嵐の前の静けさ的時期に、

告知を我慢できないけど気合だけ漏れ出て先送ってしまった

のような雰囲気を感じるLINEが急に届く。

これがまた丁度良い温度感で、少し忘れかけた頃に度々このように僕の心の門を叩くのだ。

 

本来スマートフォンが無い時代に主に活動していたアーティストは、このようなSNSを駆使した告知活動をダサいと感じる人も多いだろう。そこに良し悪しがあるわけでもないが、

敢えてそれを楽しんでいる様子すら感じられる剛に、いつしか僕たちは萌えを感じていく。

 

例えば急に

「今映画の撮影中。外は雨が降ってるよ。」

とだけ言う動画が来たり

 

ただただ森の中で自分の筋肉を見せつける写真を撮って送りつけてきたり

 

 

え、剛お前…

彼女じゃん…

 

つまり

御坂美琴長渕剛なのだ。

 

腕立て伏せであり正拳突きなのだ

僕という船の舵は

この2人がとっているといって過言ではない

 

いや待て…違う

お前が舵をとれ

死んでるのか 生きてるのか

そんな腐った瞳で人間を見るのはやめろ

生きてくれ 生きてくれ  生きてくれ

おまえの命は生きる為に流れている
人間だ 人間だ たかが俺もお前も人間だ

決して奢るな 決して高ぶるな

決して自惚れるな

一歩ずつ一歩ずつ確かな道を
お前がどうするかだ

お前がどう動くかだ

お前がどうするかだ

お前がどう動くかだ

 

しかしそんな最近

長渕剛さんがツアーや映画のイベントで忙しい最中に、ドクターストップとなって入院されてさしまった。

僕は長渕剛さんがとても心配だ。

 

はやく復帰してほしいと

心から思う。

失われたクリスマス

今日はクリスマスだ。

 

どんなにひねくれ男子が

「クリスマスなんて」と腐そうとも

誰しもに平等にやってきては

ある一部の方々には喜びを

またある一部の方々には悲しみを

いやがおうにも振りまいていく激ムズなイベントだ。

 

開き直ろうとも、リア充を隠そうとも、

みんなでパーティしてTLで悪目立ちしようとも

結果誰も得をしない感じもまたクリスマス

結果色んな意味で汚れたTLがそこにある

Facebookなんか見た日には

ひねくれ男子は自己塩害で消滅してしまう

 

そういえば僕はFacebookを開かなくなって久しいのだが、まだ変な深イイ話のような、ポエムみたいなのをリポストしてくる奴とかいるの?

YouTubeにある文字だけの胡散臭い動画みたいな内容のやつ。

 

Facebookについて考えていると

黒いクリスマスへとどんどん近づいてしまうのでここまでにしようと思う。

 

僕にとってのクリスマスと言えば

スーパードンキーコング2だ。

1995年 任天堂

スーパードンキーコング2だ。

 

これは僕が小学生の時にサンタクロースからいただいたありがたいプレゼントだった。朝起きると僕の兼ねてからの注文通り都合よく、スーパードンキーコング2は枕元に鎮座しており、サンタクロースの熱い厚意から、ご丁寧に攻略本まで付属してくれていた。

 

翌年にはRPGにどハマりする僕も、その当時はまだRPG慣れしていなかったのでドンキーコング2のようなゲームには親しみがあった。スーパードンキーコング1作目で101%をしっかり取ったという実績も相まって、僕のテンションはかなり高くなっていた。

 

後々サンタクロースと内通する中年男性に聞いた話では、この年はスーパードンキーコング2需要が大変大きく、またサンタクロースもギリギリの日曜日に市内のデパートで手に入るだろうと高を括っていたところ、あまりの品薄から県内で手に入れることができず、調べに調べた挙句何度か絶望したという。

 

「あ〜もう謝罪文添えて、

がんばれゴエモン きらきら道中 僕がダンサーになった理由』でもいいかな…いいよな…うん。そうしよう…ね。サンタクロースでもお店に売ってなきゃ無理よ…ね。」

 

というところまで追い込まれたが、

結果県外にならば売っているという情報を入手したサンタクロースは、県外まで出向いてわざわざスーパードンキーコング2を入手したという。

 

なんせネット通販もない時代だ。予約もせずになんとなく入手するのは相当大変だったと思う。

 

そんなことも知らなかった僕は、そんなことも知らなかったがためにドンキーコング2をなんの雑念も無く飯粒一つ残さず楽しみ尽くし、見事102%クリアを果たすのだった。

今思えばこの年に発売されたロマサガ3聖剣伝説3ドラクエⅥ、全部後にしっかりハマってたくさんプレイしたのでスーパードンキーコング2じゃなくてもよかったのかもしれないが…

もしこの年サンタクロースがスーパードンキーコング2を入手できず、

がんばれゴエモン きらきら道中 僕がダンサーになった理由』

が手元にきた世界線では

もしかしたら世界は破滅し、

僕は生きていないかもしれないのだ。

 

サンタクロースには感謝している。

 

それからも色んなクリスマスがあり、

楽しいクリスマスもあれば

クソみたいなクリスマスもあった。

 

今年はというと

何の大きい意志もなく母親の横の繋がりでチキンとケーキを予約し、近くのスーパーでピザの予約をし、みんなでそれを食べた。

ごく個人的には瀬戸内レモンと質の高い強炭酸で最強のレモンサワーに興じた。

今年1年の怨念を込めて、ままよとばかりにレモンを素手で絞りに絞り、果肉と共にグラスへとぶち込んだ。

 

家族で食卓を囲む上で、

レモンサワーに1番手間がかかっているという家庭がほかにあるだろうか?

いや、無いだろう。

 

仮に全て出前や惣菜だとしても、レモンサワーだけなぜか国産レモンを使って自分で作りたいという人間はいないはずだ

そう思うと誰よりも最強になれた。

 

そんなクリスマスを過ごした今日だったが

思い出してみると不可解なことがあった。

 

クリスマスということで小売店やコンビニに足を運べば望む望まざるに関係なくクリスマスムードという毒素を浴びることになる。街が僕たちに、クリスマスの圧を与えてくる。マライアキャリーのコテコテのイントロから始まるクリスマス楽曲がそれを助長していた。

 

マライアキャリーのあの曲の

「ほーれほれほれ皆の衆!お約束の名曲が始まりますぞおお〜!あつまれえ〜い!」

みたいな圧力を感じるイントロダクションが僕たちを苦しめた。

 

勿論仕事中事務所でも地方のFMラジオが流れており、そこからもえげつないほどのクリスマス感を与え続けられる。マライアキャリーの口上から始まる先述の圧力ソングも浴びせられる。たまにボウイのマリオネットが流れて事務所内が小刻みに揺れている錯覚を感じたりとそれもまたある種のハラスメントと感じられるほどだった。

 

しかし

この一日、社員の誰からも「クリスマス」に関する話題、クリスマスというワードすらひとつも聞こえてこなかったのだ。

 

ラジオで「これでもか!」

とぶつけられるクリスマス毒素を、全員浴びてむせ返りながらも、それを黙って洗い流すかのようにクリスマスを拭き取り、ひた隠しにしているように思えた。

勿論世間話は多々するにも関わらずである。

 

つまり我が社の環境下では

クリスマスそのものがぽっかりと失われていたのだ。

 

では、

その失われたクリスマスはどこへ行くのか?

怪盗黒バラ(ex明日のナージャ)が、心貧しき民にクリスマスを分け与えたのか?

 

その差し引かれたクリスマスはクリスマスを必要としない一部のひねくれ男子に不必要な裾分けとして半ば無理矢理もたらされているのでは?

 

そう考えるとこの環境下に納得することができた。

 

失われたクリスマスを受け取ってしまったあなた。どうかそれがクリスマスなんて不必要なひねくれ男子でありますように

 

そしてそんな男子の元に、

胸焼けするようなクリスマスの圧力と

スーパードンキーコング2

もしくは

がんばれゴエモン きらきら道中 僕がダンサーになった理由

が届きますように。